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「宗教教育」の提言のために

2008年4月22日付 中外日報(社説)

平成十八年十二月に安倍内閣のもとで教育基本法が改正され、宗教教育についても若干の改正があった。これと関連すると思われるその後の動きは、まだあまり目立つものはないが、学界、宗教界などでは、いくつかの試みが始動している。

まず学会レベルでは、昨年「宗教文化士」(仮称)の資格化をめぐる議論が、日本宗教学会と「宗教と社会」学会を中心に本格的に開始された。日本宗教学会はこの問題の検討のための委員会を設置し、「宗教と社会」学会はワーキンググループを設置している。これは宗教に関する基礎的な知識を深め、特に国外の宗教文化に対する理解を養う態度を大学教育レベルで推進しようという発想である。

(財)国際宗教研究所では、一昨年及び昨年の十二月に、宗教教育が宗教界に及ぼす影響や、宗教界に期待されていることなどを視野に入れた公開シンポジウムを行なった。二回のシンポジウムの様子は、いずれも精神文化映像社の番組として衛星放送で紹介された。ただシンポジウムの議論からは、公立学校における宗教教育というテーマになると、宗教界はどのような形でかかわることができるのか、まだあまり見通しが得られていないという印象を受ける。

さらに今年三月下旬には、全日本仏教会が宗教教育推進委員会の設置を決めた。全日本仏教会の場合、教育基本法改正を目指して設置した特別委員会が当初の使命を終えたとして、新たに推進委員会を設置したのである。

このように学界や宗教界などでは、それぞれの立場から宗教教育との取り組みが継続されているが、中等教育の学校の現場では、すこぶる反応が鈍いようだ。中等教育の現場では、少子化対策やゆとり教育見直しというような厄介な課題が山積みで、宗教教育についての議論などを視野に収める余裕はないのかもしれない。公立学校は言うに及ばず、宗教系の学校であってさえ、それが偽らざる実情である。

宗教教育の議論を進めていくに当たっては、現場の教員の関心が乏しいという現況を充分考慮しなければならない。そして、宗教教育という課題が「やる価値のある議論」であるという認識が社会において深まるためには、何を目指しているのかが明確であり、そしてその目標がより多くの人々に共感されるような試みが推進されなければならない。その意味では「社会のニーズ」を探りながら推進するという「宗教文化士」の資格化の試みは、その行方が注目される。

特に宗教界には、現実的な方向付けが求められる。その意味で全日本仏教会が具体的にどのような課題に着手するかが関心を持たれるが、宗教界からの試みは、なるべく多くの宗教関係者がコミュニケーションする中で推し進められるのが好ましいのではなかろうか。特定の宗教に利するように、というような気持に傾くならば、社会からは到底受け入れられないと考えられる。

宗教教育が教育の中で特別な分野であるとは考えなくてもいいだろう。現在学校で実施されていく教育内容との関連についてもこれを深く考えながら、具体的な方策を練っていくというのが筋である。従って、宗教界におけるネットワークはむろんのこと、広く教育問題に関心を持つ人々との意見交換が欠かせない。

国際的に活動している人は、たいてい宗教についてもっと深く教えておくことの必要性には同意する。これからの世代は、国際的な場で価値観の対立や、意見の衝突に直面する機会が増えるのが明白だからである。そうした時代の動向を考慮することが、宗教教育の議論には必要であり、かつその議論は多角的に展開されるのが望ましい、と指摘しておきたい。