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郷土館が物置になっていないか

2008年4月17日付 中外日報(社説)

三年半前の新潟県中越地震で大きな被害を受けた同県山古志村は、その後長岡市に合併されたが、世界有数の錦鯉の生産地としてよみがえった。文筆家の小玉節郎氏は各地を旅行し、その道の達人たちにインタビューを重ねており、昨年秋には旧山古志村の錦鯉養殖業者を訪れて、苦心談を聞いている。

小玉氏のルポによると、鯉はもともと黒い真鯉が普通の存在だ。ところが突然変異で黒い色素が失われ、白や赤の鯉が生まれることがある。そのような色鮮やかな鯉が存在することは、古代から知られていた。旧山古志村で本格的な養鯉業が始まったのは、江戸時代半ば以後のことだという。最初は、海との交通が不便な山間部での蛋白源確保が狙いだった。

さて、一匹のメス鯉は約百万個の卵を産む。孵化した稚魚の色が見えるようになったところで、十分の一だけ残して、あとは処分する。さらに模様がはっきりしたところで十分の一だけを選別する、という作業を繰り返し、最後は百匹以下になる。錦鯉を「育てる」業者というけれど、実際は鯉を殺す業者だ。だからどの家も屋敷内に、鯉の供養塔を建てている。

選び抜かれた鯉は、最終段階で半径五十メートルくらいの池に、十匹前後を入れて育てる。競争相手の少ない環境に置いて、エサをたっぷりやると、一匹数百万円クラスの風格の備わった鯉になるとのこと。

ところで、色美しい錦鯉同士を交配しても、二代目の錦鯉は生まれない。先祖返りして、稚魚はどす黒い真鯉が多いという。錦鯉とは前述のように、劣性遺伝の突然変異によって色素の欠けたものが、白や赤の模様を発色したものをいう。そのへんの呼吸をよく心得た旧山古志村の人々でないと、美しい鯉は育てられない。小玉氏はそのことを実地で学んだ。

小玉氏は、このような知識を広く学ぶ糸口として、毎年、本を百冊は読みたいと考えている。知識の源となるのは、手軽に読める新書が多い。「専門家の講演を大体二時間分ぐらい聞いた感じで(中略)基礎知識が頭に入る」とか。

しかし中には、有名な先生である著者が、ライバル学者の学説を攻撃しまくって、一方的に自分の論理を押しつけようとするもの、やたらに専門用語を並べ立てて読者を混乱させるものなどもある。編集者がチェックして、書き直しを求めることはできないのだろうか、と。小玉氏は著書『ヒョー論。』=グラフ社=でそのように訴える。

同書の別のページでは、地方都市に多い歴史博物館や郷土資料館が「物置」化していることを指摘する。適切な管理者がいる館は別として、大部分は、庄屋や豪農の家にあった古い民具を雑然と置いてあるだけ。そんな民具は、ほかの地方にも残されている。古代の出土品や、戦国時代の武具も同様だ。

「時間をかけて見れば、味はある。味はあるがコクがない」と結論づける。なぜなら「展示が呆れるほど下手なのだ。見て分かるようになっていない」。長い説明文や細かい年表を読まされることが、参観者にとっていかにつまらないかということに館側は気づいていない。「歴史が死んでいる」と手厳しい。

小玉氏は触れていないが寺院の宝物館の場合は、参観者側が僧俗とも目的意識を持っているから、このような批判は当てはまらないだろう。だが中には「拝観料を納めたのに……」と感じる例なしとしない。せっかくの教化の場だから、見る側の関心にいかにして応えるかを考えて展示物を選ぶべきであろう。

旧山古志村の養鯉業者らは、手の内をすべてさらけ出して取材に応じ、小玉氏の関心をさらに高めた。各地の郷土館や歴史館も、古い校舎や元公民館の廃物利用的な感覚を脱却した運営が必要とされよう。