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創刊百十年から「明日」を望んで

2008年3月25日付 中外日報(社説)

「新聞事業ほど『人』を要求するものはない。無論『金』も金だがそれは第二だ。昔から新聞で成功したものはみな人の力だ。金そのものが成功させたものは一つもない」

これは中外日報の創刊者、真渓涙骨の言葉である。宗教専門紙という新しいジャーナリズムの分野を一人切り開き、先駆けとなった涙骨の新聞事業に対する信念と自戒の表白である。

明治三十年十月、中外日報の前身『教学報知』を二十八歳の青年涙骨が創刊してから百十年、号を重ねること二万七千余。この歴史は、ひとえに一世紀を超えて手に取り読み継いでくださった読者の皆さまの支えによるものと肝に銘じている。

「すべての革新とは復古なり。『宗祖に帰れ』は宗教の指導原理であるべきなり」と涙骨はいう。百十年の節目に立って、後進のわれらもまた創刊者の言葉を杖とし、原点に立ち帰ってみたい。

▽新聞は時代を創る、時代は更に新聞を創る。新聞は呼吸器、時代は新空気だ。

▽知名大家の原稿などは少し高い原稿料だに払えば、いくらでも入手されるものだ。下に埋もれた無名人の、書くために書いたものでない原稿を掘り出すのが一苦労なのだ。要は実質第一を力点とする。

▽常に脚でニュースを書く。一歩進めてニュースを生み出す。生まれたニュース児に新しい名前を付ける。それが事実化して、堂々社会に活動する。

▽まず街頭に出て時の流れに触れよ、しかして門を叩いて人を捕らえよ、しかして人を求めて走れ、それ自体が生きたニュースの活躍ではないか。社会に材料なきにあらず、汝にこれを掴む機智なきを恥来たれ。

これらは、いずれも新聞人の基本精神、新聞記者が初心となす心構えを角度を変えて説き、新聞記者を志す者の、あるべき姿勢を端的に示した言葉である。

駆け出しのころ、自分の書いた記事に対し、取材した相手から間違いや事実誤認を指摘された経験を持たない記者はいない。自分では精いっぱい書いたと肩の荷を下ろした直後だけに、己の未熟を悔やんでも悔やみきれない思いにさいなまれることになる。

これとは逆に、年を重ねてベテラン記者と呼ばれるようになってから、知らず知らずペンの威力を借りて、取材相手に昂然とした態度で臨んだり、読者におもねってペンに弾みをつけるような過ちを犯す者もないとはいえない。

取材の現場を強調し、経験に甘えて錯覚することを戒める涙骨は、自ら「私は生来新聞の虫」と名乗るだけで、「反骨精神」とか「民衆の声なき声」などと、大上段の構えで新聞を売ろうとすることはなかった。

創刊の巻頭言には、教義の優劣や宗派の甲乙、本山と末寺の別などに一切こだわらず、「独りただ事実を事実として報じ、風説を風説として知らしむれば即ち余輩の任職や畢(おわ)れり」とあるのみで、「小局狭量の迷妄を排して四囲開放」することを宣言している。

創刊から三十余年を経て書かれた涙骨の寸言には、前進への強い決意が込められている。これを創刊百十年の今日に引き当てて、「明日」からの中外日報の指針としたい。 

「『中外』生まれて百十年、号を重ねること二万七千余、しかしてそれは一に準備に過ぎない。我等の意志を達する日は『明日』にある。明日は更に次の明日を望む。我等の進路上に終点なし。一線は永久に一線だ。今日の理想は次代の新しき理想を生む。時の流れは不断に回転する」