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病院から姿消す優秀な医師たち

2008年3月13日付 中外日報(社説)

筆者と妻の個人的体験をもとに書くことをお許しいただきたい。

三年前の夏の夜、筆者は身体に不調を感じたので、かかりつけの大病院に電話すると「救急医療室へ来るように」と言われた。歩けない状態ではないので、タクシーを利用した。

夜間専用入り口で、ガードマンに制止された。「もうすぐ救急車が来る。じゃまをしないでほしい」。自分も救急医療室へ行くところだと伝えたが「この入り口は救急車優先です」と言い、約五分間、その場で待たされた。

後で事情を知る人に聞くと「救急車は、後日の証拠に患者を乗せた時刻と病院へ引き渡した時刻を記録しておく必要がある。病院側も同じ事情だ。だから、タクシーや自家用車で来た患者は後回しにされる。あなたも遠慮せず、救急車を呼べばよかったのに」と言われた。

一部の市民が、救急車をタクシー代わりに利用している。という記事を読んだことがあるので、消防局に迷惑をかけまいとタクシーを呼んだのに。もし差し迫った病状だったら、病院入り口での五分待ちがその後に響いたかもしれない。よい教訓になった。

その夜は外科医師から応急処置を受けて帰宅、数日後に入院して、手術を受けた。担当医は、最初の夜に応急処置をしたKという医師だった。入院中、朝も夜も八時ごろ病室へ来て、経過を見守ってくれた。

大病院といえども、一人の医師が早朝から出勤し、外来の診察も、入院患者の手術も担当し、その上さらに夜間の救急にも対応していることを知った。勤務医の置かれたハードな実情が分かった。

一年後、手術のあとを見てもらうため、病院へ行った。外来入り口に掲げられた医師名簿から、K医師の名は消えていた。

ところで、筆者が救急外来を訪れた三年前は、救急車に乗れば、多くの病院が待ち受けてくれる体制にあった。だが最近は、搬送受け入れを断わる病院が増えたと伝えられている。たらい回しされるうちに、手遅れとなって命を落とす患者が相次いでいる。

あるテレビのルポ番組が救急車の活動ぶりを伝えていた。幾つもの病院で患者の受け入れを断わられ、白い車はサイレンを鳴らしながら、どこまでも夜の街を走り続ける……。

筆者の妻は、ことあるごとに別の大病院の世話になっている。十余年前、原因不明の熱が続き、抗生物質を服用しても、効き目がない。内科の医師が言った。「思い切って、薬をのむのをやめましょう。病室のベッドで静かに休んでください」。数日後、しつこかった高熱が引いた。

医療行為を仏教的に見た場合、薬で病気を抑えようとするのを「対治」といい、じっと寝ていて、自然に治るのを待つことを「同治」という。内科の医師は「対治」で治らなかった病気を「同治」で治したことになる。

数年後、妻は胆管結石に悩まされた。同じ病院で、外科医師の手術を受けた。その医師は言った。「後はあなた自身の力で治ります。手術を受けたことを忘れて、自然のままに生活をしてください」

若手の気鋭の医師がそろっているといわれたこの病院が、昨年、診療科目を大幅に減らした。医師不足のため、患者に対応しきれなくなったのだ。

わが国の医療の始まりは四天王寺・四箇院の施薬院と療病院にあるとされている。明治になって、ハンセン病治療に先鞭をつけたのは、日蓮宗の僧侶やキリスト教の宣教師だった。英国の修道院に始まったホスピスは、日本では仏教者によるビハーラ活動として広がろうとしている。だが医師数の絶対的な不足で、日本の医療は転機を迎えた。宗教心だけでは限界がある。適切な政治の裏付けが必要であろう。