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超高齢社会を前に

2008年3月11日付 中外日報(社説)

六十五歳以上の年齢の人が人口に占める割合が七%を超えると、高齢化社会といわれる。この割合がその倍の一四%を超えると、高齢社会と呼ばれる。さらに二一%を超えるようになると、超高齢社会と呼ばれる場合がある。

一九七〇年に高齢化社会を迎え、九四年に高齢社会を迎えた日本は、いよいよ超高齢社会へ突入しようとしている。

こうした事態を前に高齢者福祉事業はさまざまな取り組みがなされており、例えば工学分野では、超高齢社会におけるロボットの技術を開発するプロジェクトといったものも注目されている。高齢者が増えれば、とりわけ身体の介護は大きな問題となる。介護する側が高齢者に属するという例も少なくないが、そうなると、身体介護の負担を軽減することも焦眉の課題となってくる。

心の問題も深刻である。老いてからの心の問題は、若い世代の心の問題とは異なる厄介さを抱えている。認知症など、病に属するものになると、医療関係者の手に主たる取り組みを委ねることになるが、宗教団体が大きな役割を果たすべき課題も、ここにはあるはずである。

高齢となった人間の抱える問題の一つは、孤独感である。大家族が減り、核家族が一般的となった日本社会では、高齢者は孤独な生活を選ばざるを得ないことがよくある。いわゆる独居老人である。独り暮らしでも、地域社会の中でのつながりが保てていれば、孤独感はある程度癒やされると考えられる。しかし、そうした地域社会とのつながり、端的には近所付き合いが、ほとんどない高齢者もいる。

宗教団体がすぐにでもかかわれる事柄の一つに、この孤独感を癒やしていく手だてというものが挙げられる。ただし注意すべきは、社会から受け入れられる方法を探らなければならないということである。

新宗教というと、若者が多いといったイメージを抱いている人もいるようだが、実際には新宗教と呼ばれる教団の集会・会合を観察すると、老人の占める比率がかなり高いことが多いのが分かる。キリスト教会の日曜礼拝も老人が多い。これはヨーロッパの高齢化が進んだ国でも似たような状況である。こうした集まりは、たぶん、高齢者の孤独感を癒やす上で、一定の機能を果たしていると考えられる。

教団支部や教会の会合あるいは祈りの場に高齢者が目立つ状態は、宗教団体内で信徒の高齢化としてしばしば嘆きの理由にされる。なぜ若い人を引きつけられないか、というような問いを生み出すこともある。しかし高齢者が心のよりどころとして集まるのであれば、それは大きな社会的機能を果たしていると評価しなければならない。

宗教団体の中には、人々に集まってもらい、そこで語り合ってもらうための、いわばノウハウを蓄積しているところがあるのだから、これを社会貢献に応用していくという発想があっていいわけである。ただし、孤独感を抱えた人々も入会・入信さえすれば孤独が癒やされますよ、というような発想に基づいて一般社会に語りかけるのは、おそらく最も嫌われるやり方の一つであろう。

そうではなく、高齢者たちが気軽に集い、語り合えるような場を提供することをまず目指すなら、社会の反応もおのずから異なってくるはずだ。単に布教の"手段"としてやっているのではないということを示す具体的な方法としては、複数の宗教団体が協力して実施するというやり方もあろう。宗教と関係のない民間の団体との協力による試みは、さらに有効かもしれない。

信者を増やすことだけを目的とするような"社会活動"なら、高齢者問題に限らず、むしろ放棄した方がいい。入信させるための社会活動といった意識が見え隠れするようでは、宗教に対する今の日本社会の漠たる不信感は弱まることがないだろう。宗教団体の社会的貢献の一環としては、このことを充分認識して、高齢者問題にも取り組んでもらいたいものである。