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"公益"議論の前に

2008年3月4日付 中外日報(社説)

「一般社団・財団法人法」「公益法人認定法」など公益法人制度改革の三法に基づく新しい公益法人制度が今年十二月一日から施行される。主務官庁による認可制度を廃止して一般社団・財団は登記のみで設立できるようにする一方で原則課税とし、公益性認定の段階を設けてこれをクリアした法人にのみ税制上の優遇措置を与える仕組みだ。

「公益目的事業」を行なうことを「主たる目的」とする社団・財団が国や都道府県知事に申請して、認定を受ける。「公益目的事業が百分の五十以上か」など認定基準がいくつもある。

この公益法人制度改革で宗教法人は直接の対象には入っていないが、前記三法の制定段階で、ある意味において「宗教」の法律的位置づけが問われた。日本宗教連盟など関係団体が危機感を深めて与党などに働きかけた結果、民法三三条に「祭祀宗教」の文言を残し、公益目的事業の例示に「信教の自由」に関する条項を入れ、公益社団・財団法人の解散時の財産帰属先に宗教法人を加えるという成果を残した。法律的にも宗教そのものの"公益"性が確認されたといえる。

ただし、問題は残っている。公益法人制度改革の議論の中で、宗教法人が最初から対象除外されていたわけではない。今回はともあれ、将来的にはどうなるか分からない、という見方は強いのだ。

それがあるのか、最近宗教界でも「公益」が論じられることが多くなったようだ。公益への寄与、社会貢献それ自体が、あたかも宗教団体の本来の目的であるかのような印象を受ける議論さえ時には聞く。

むろん、教派・宗派の宗旨・教義によって、そのような議論が何の違和感もないケースはあるが、分かりやすい"公益性"を大々的に打ち出すのはやや強引ではないか、と思える場合もないではない。

宗教法人法の第二条には"宗教団体の定義"がある。「宗教の教義をひろめ、儀式行事を行い、及び信者を教化育成することを主たる目的とする」というのがそれだ。

宗教法人法は、この「宗教団体」が財産を所有、維持運用して、前記目的に基づく業務を運営できるよう、法律上の能力を与えるために制定された。これは同法第一条に述べるところである。

同法はまた、第六条で「公益事業」および、法人本来の目的に反しない限りで「公益事業以外の事業」を「行うことができる」と明記している。

くどいのを承知で強調すれば、問題はあくまでも宗教団体の「本来の目的」なのである。

宗教の「公益性」が真っ向から問われるのは、それだけ宗教の社会的基盤が弱まっている証拠だろうか。宗教者個人はともかく、宗教法人が社会と無縁であるわけはないのだから、社会とのかかわりを考えるのは必要だ。社会から遊離しているとすれば、その現実を反省するのは大切だが、公益法人制度改革の流れの中で、宗教団体が「公益」の概念にあまりにも強く引っ張られるのはどうなのだろう、と思う。

公益性はあえて言えばそれぞれの宗教本来の活動にある。むろん、社会の変化に応じた教派の主体的変化は考えられるし、その宗教の「本来の目的」が"ボランティア"といった新たな形で表現されることもあるだろう。逆に、それが社会的に充分に認知されない形になることもあり得るだろうが、だからといって、宗教法人法が宗教団体の定義に挙げる「本来の目的」を歪めてまで、認知されやすい公益に擦り寄るようでは本末転倒になりかねない。

社会貢献の議論に反対しているわけではない。要はそれぞれの宗派・教派の本来の立場にしっかり立つことだ。それでもなお政治家や官僚から宗教の「公益性」が問われるならば、それは「本来の活動」の後からついてくる、と答えるしかないのではないか。