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AFS留学から民間外交五十年

2008年2月21日付 中外日報(社説)

(財)京都市国際交流協会相談員、荒木泰子さんは昨年秋、ニューヨークのAFS(アメリカン・フィールド・サービス)国際本部に招かれ、創設者スティーブン・ガラッティの名を冠した「ガラッティ賞」を贈られた。同本部が推進してきた高校生を中心とする交換留学事業に、ボランティアとして協力した功績が評価された。受賞は、日本人として二件目である。

AFSが日本の高校生を一年間、米国に留学させるようになったのは一九五四年=昭和二十九年=から。荒木さんは、京都府立鴨沂高校在学中に一九五六年から一年間、第三期生として三十三人の仲間とともに渡米、メリーランド州のボルティモアに留学した。行きは日本郵船の氷川丸、帰りはチャーター便のプロペラ機という時代だ。

ホストファミリー(受け入れ家庭)から、公立の女子高校に通った。ボルティモアの公立高校は男女別学で、しかも授業終了までは異性との交際は厳禁。戦前の日本のようだった。

昭和三十二年夏、帰国したばかりの荒木さんに、大阪在住の第一期留学生、藤井健一朗さんから電話がかかった。「アメリカの高校生九人を、夏休み期間だけの短期留学(サマー・プログラム)で日本へ招いた。東京周辺や阪神間だけでなく、ほかの地域の宗教や文化に触れさせたい。来週、京都へ行く予定だ。無料で宿泊、見学できる手立てを講じてほしい」

帰国直後の高校生に、気の遠くなるような要求だ。だが、自身の素晴らしい体験のお返しに、何とかしなければ。荒木さんの派遣選考にかかわった京都府教委の後押しで、ロータリークラブ、ライオンズクラブ、新聞社などに資金協力を求め、泊めてくれるホストファミリーも探して、三日間の京都滞在のホスト役を果たした。これが荒木さんの国際交流ボランティア活動の、そしてAFS京都支部の第一歩であった。二、三年後には禅寺宿泊や坐禅体験も取り入れた。

大阪外大(当時)を卒業し、京都市立の高校で英語の教師を歴任した荒木さんは、京都支部初代会長として、のちには顧問として、日本からの留学生送り出しや、外国からの留学生受け入れのため、地道な努力を重ねてきた。在職の長かった京都市立堀川高校をはじめ、留学生を迎えるホストスクール(受け入れ校)の開拓にも努めた。

AFS京都は、学生中心で運営されるユニークな支部だ。最近は平和学習のために、留学生を毎夏ヒロシマへ連れて行く。秋葉忠利広島市長はかつてのAFS留学生で、被爆者とともに積極的に協力してくれる。

「ガラッティ賞」の受賞は日本人で第二号と記したが、第一号は二〇〇二年=平成十四年=の名古屋市在住・服部政一、美恵子夫妻である。一九九二年十月十七日、ルイジアナ州バトンルージュ市に留学中の愛知県立旭丘高校二年、服部剛丈(よしひろ)君は、ハロウィーン祭で仮装して強盗と間違われ、銃を持った市民に射殺された。服部夫妻はその両親だ。

夫妻は息子を失った悲しみを越えて「この事件が日米交流の妨げにならぬように」と望み、ボランティアが集めた資金を加えて「YOSHI基金」を創設、米国民に銃なき日本社会の良さを理解してもらおうと、毎年、少なくとも一人の高校生を迎えることにした。その数は現在、十五人に及んでいる。荒木さんの受賞は、服部夫妻同様、AFSへの貢献が大きいと評価されたからだ。

AFSの年間派遣は今、三十余ヵ国へ三けたの留学生を送り出しているが、ひところに比べ留学熱が低下した。"進学校"といわれる一部高校は、現役での進学成績を意識してか「留学を認めない」と宣言する傾向がある。「各方面で活躍している高校留学経験者の足跡を再評価してほしい」が荒木さんの願いだ。