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梅どころで十年小さな宿の記録

2008年2月9日付 中外日報(社説)

山また山の連なる和歌山県の村里に、念願の"旅の宿"を開いて脱サラ後の生活の地を見いだした人がいる。新日鐵大分製鐵所から系列のソフト会社に出向、営業企画部長を務めた中村威(たけし)(62)さん。十年間の宿の経営体験記を昨年末に『旅の宿"紫音"物語』と題する文庫判冊子として出版した。"団塊の世代"への示唆が大きいと注目されている。

和歌山県日高郡みなべ町清川。分県地図にも記載がなく、率直に言って知名度の高い土地ではない。だがこの付近は、上質の南高梅と備長炭の産地で、緑の山並みから谷間に真清水が流れ、空清く活気に満ちた山村である。

かねて、会社を辞めたら大分県内の国東半島でペンションを、と考えていた中村さんは、平成の初めごろに妻・悦子さんとともにこの地を訪れて、すっかり気に入った。地元の人々も「宿ができたら清川の活気がさらに盛り上がる」と歓迎してくれた。

平成七年、会社が早期退職者優遇制度を提示したのを機会に、中村さんは定年まで十年を残して辞表を出した。翌八年、清川地区の高台で約七十坪の建築に着工、並行して民宿経営のノウハウを学んだ。

宿の名を「紫音」としたのは、秋に美しい紫苑の花が咲く場所でもあるし、仏教の説く「四恩」や、聖書が記す「シオンの丘」=エルサレム=にも通じると考えたからだ。そしてこの宿を、都会暮らしに疲れた人々の"心のふるさ"とにしたい、と中村夫妻は願った。平成九年五月に開業すると、初日から宿泊申し込みが相次ぎ、順調なスタートだった。

なぜ、観光地でもない清川にオープンした紫音の人気が高まったのか。それは第一に、この地区の自然が美しいこと。和歌山県田辺市や白浜温泉から一歩踏み込んだだけなのに、ホトトギスが鳴きホタルが乱舞する。第二に、紫音を建てた高台が、森林に囲まれた清川の里を見渡せる絶好の場所だったこと。特にカトリックの教えを受けたことのある悦子さんには、まさに"シオンの丘"だ。地元の寺の住職が建てた千体地蔵堂にも近く、宗教的な空気が感じられる。

第三に清川周辺が、梅どころ和歌山の主産地であること。梅の咲くころや実を結ぶ季節には、テレビや旅行雑誌の取材班が訪れる。記者やカメラマンが「梅の里らしい気分の味わえる宿はありませんか」と尋ねると、口をそろえて「それなら紫音がいい」。テレビの画面にチラリと映ったり、「泊まりたい宿」のページに紹介されたりする。自分から売り込もうとしない、自然法爾的な姿勢が、かえって好感を呼ぶ。

中村さんは最初から、宿でもうけようとは考えなかった。ほかのペンションなどに比べると半分以下の規模で、三部屋だけ、七~八人でいっぱいという設計にした。その七~八人が、いろりの周りで打ち解けて話し合えるように……。時には中村夫妻も仲間入りをする。悩みを打ち明けられることもある。

こうした家族的な雰囲気が気に入り、今年もまた来ましたという客もあれば、親友に勧められたのでという客もある。季節にかかわりなく、毎年、千人近い人々が紫音を訪れる。中村さんは言う。「私はエンジニア出身だから、交際上手ではありません。妻の方がファンが多いかもしれませんよ」と。

開業前、中村さん夫妻はうまく料理が作れるか、自信がなかった。あるシェフ経験者が励ましてくれた。「心をこめて作れば、必ずよい味になります」。夫妻が心をこめた「紫音会席」目当ての、昼食どきの客も多い。

「でも収入は、在職中の半分以下です。借金して開業していたら、金利に押しつぶされたでしょうね」。旅の宿・紫音は、電話〇七三九(七六)二一四四。