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慰霊行脚は震災体験の「語り部」

2008年1月26日付 中外日報(社説)

災害は、抑制を欠き放らつな人間社会への天罰という思想は古くからある。江戸時代末期(一八二八)の越後・三条地震に遭遇した良寛和尚も、浮ついてぜいたくに生きる人々の心の持ち方がこの災害を招いた、という趣旨の漢詩を残している。死者千人を超える大地震だった。

良寛和尚の逸話は中公新書『地震の日本史』(寒川旭著)で知ったが、当時は地震を起こす科学的なメカニズムが分からなかった。和尚が現代に生きていたら「心の緩みが被害を拡大する」と力説しているに違いない。その「心の緩み」とは、自然に対する文明社会のおごりであり、また安逸な生活に慣れ災害への備えを怠りがちな我々一人ひとりや為政者のありようであろう。「天災は忘れたころにやってくる」という寺田寅彦の有名な言葉も、同様の文脈と解釈できる。

今、こんなことを言うのは阪神・淡路大震災から十三年目の一月十七日、全日本仏教青年会の有志が行なった神戸市での恒例の慰霊行脚を報じた本紙記事(一月十九日付)による。記事は「震災を早く過去のものにしたいという人は多く、僧侶が声高に震災を語るのははばかられる雰囲気だ」という参加僧侶の感想を紹介している。被災地の市民にとって悲惨な記憶は忘れがたくても、昨年の十三回忌が一つの区切り。震災に対する向き合い方も曲がり角に来ている――と取材記者も感じたようだ。

被災地での人の心の微妙なうつろいは、筆者も分かるように思う。震災直後はみんなが他人に対して優しかった。道を譲り合い、互いに励まし合った。だが、少しずつ日常生活が回復していくにつれ様子は変わっていった。十三年の歳月がたち、震災を知らない市民も増えていく中で「いつまでも過去の不幸を引きずっておれない」という雰囲気に流されるのも、仕方のないことだろう。とはいえ被災者が自らの体験を風化させていけば、再び「心の緩み」が生じ、被害の拡大を繰り返しかねない。それこそ天罰になってしまう。

前出の『地震の日本史』によると、有数の地震国日本は、過去千数百年に及ぶ地震の被害を、文字記録で詳しく知ることのできる世界でまれな国でもあるという。そして、その履歴をたどると、実は忘れる暇もないほど国土のどこかで大地震が起こり、阪神・淡路大震災をはるかに上回る規模の地震も数々あった。百年余の周期で必ず起こるM8級の海洋性巨大地震は言うに及ばず、阪神・淡路大震災(M7・3)と同様、活断層による内陸型地震でもM8級ですさまじい破壊力の地震も珍しくなかった。京阪神地域に大被害をもたらした伏見地震(一五九六)や岐阜、愛知県に壊滅的な打撃を与えた濃尾地震(一八九一)などである。

これら想像を絶する大地震は、国土を覆う無数の活断層のいくつかが連動した可能性がある。小さな活断層が動くM6級の中規模地震は、いつどこで起きても不思議はない――などと同書は言う。筆者は読み進むうち、過去の貴重な記録が「たなざらし」になっていなければ、阪神・淡路大震災の惨事も多少は軽減できたのに、と感じた。

戦後間もなくの南海地震(一九四六)とその直後の福井地震(一九四八)以降は、比較的平穏な状態が続いたが、地震学者は最近の知見に基づき阪神・淡路大震災から、特に西日本は地震の活動期に入ったと見る。そのことはおいても、いずれどこかで必ず起こる大地震に備え、震災体験の忘却と「心の緩み」だけはみんなで戒めたい。

本紙の記事に戻ると「町の様子を見て、祈りを込めることに慰霊行脚の意義がある」と語る僧侶たちの一行が、声なき震災の語り部に見えたという文章で締めくくられていた。筆者も仏教界にもう一つ、とても大きくて大事な役割が加わっているように思えた。