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教育課程改革に"ねじれ"を思う

2008年1月24日付 中外日報(社説)

衆議院と参議院が"ねじれ"状態にあるといわれるが、政界にはもう一つ、別の形での"ねじれ"があるのではないか。それは、安倍前内閣と福田内閣との政策の違いである。例えば教育改革について、特に道徳教育をどうするかの問題が注目される。言うまでもなく、宗教界が強い関心を寄せている。

昨年十一月十三日付の本欄で指摘したように、文部科学相の諮問機関、中央教育審議会(山崎正和会長)と、政府(官邸)の教育再生会議(野依良治座長)が学校教育をよくするため、別個の審議を進めてきた。そして昨年十二月二十五日に、両者それぞれ結論に近いものを提示した。

中教審は「道徳教育を充実・強化すべきだという認識では一致している」けれども「さまざまな意見がみられる」として、昨年十月三十日の「審議のまとめ」を大筋で了承したことを明らかにした。つまり道徳を正規の教科とするのを先送りしたわけで、近く正式の答申にまとめられる。

これに対し、同じ日に教育再生会議がまとめた第三次報告は、道徳を「徳育」と名づけ、正規の教科とし「感動を与える内容の教科書を作る」ことをうたっている。ただし、優劣の採点はしないという。

報告は、飛び級制や英語教育の導入についてもユニークな提言をしており、答申書を受け取った福田康夫首相は「よくまとめてくださった」と謝意を述べた。しかし福田首相がこの答申の実現に努力するかどうかは疑わしい。同会議の内部でも「実現性は薄い」とみる向きが多いようだ。

それというのも、教育再生会議は安倍晋三前首相の意思によって設けられたもので"右寄り"の論議が進められたとの見方が強いからだ。内閣が変わった今、福田首相がその路線を継承する可能性は薄い。教育再生会議と中教審との"ねじれ"現象は、どう決着がつくのだろうか。

政府はやはり十二月下旬に安全保障会議を開き、米国にならった国家安全保障会議(NSC)の設置を断念することを決めている。前内閣の方針が、ここでも福田内閣によって否定されたわけだ。

さて、教育に関して、平成十年三月二十四日付の本欄で、次の話題を紹介したことがある。ある小学校に私立A大学から、教育実習生(教生)が来た。当時のA大学は偏差値が低いとみられがちだった。だが児童たちは翌朝から、校門で教生が来るのを待つようになった。児童たちは昼休みや放課後に、教生に全身をぶつけながら遊んだ。

教室での教えぶりは、決して上手ではなかったが、児童は熱心に勉強した。あとで担任教師がテストをすると、教生が教えた範囲の点数が高かった。

名門大学から来た教生は棒読みや丸暗記調の授業をするが、A大学の教生は遊び心を取り入れ、児童に向き合う姿勢で教えていた。昨年十一月に読売新聞が連載した道徳教育シリーズでは、小・中学、高校を問わず授業内容を活性化させると、おのずから道徳的な感性が向上するという例が紹介されていたが、十年前のA大学の教生は、すでにそれを実践しており、その影響で挨拶のできる児童が増えていた。

その小学校の校長は語った。「いまの学校では放課後の職員会議に時間を取られ、担任が授業を離れて児童に接する機会がありませんね。きょうは学校運営、あすは校務分掌と、会議のための会議の連続です。私は着任以来、せめて週に一日だけでも会議のない日を作ろうと努力しましたが、だめでした」と告白したのを思い出す。

校長の願いとは逆に、会議や書類まとめなどの雑用は、年々増加の一途をたどっているとか。その現実が中教審や教育再生会議の委員に、どれだけ伝わっているだろうか。これも一種の"ねじれ"であろう。