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日本史教科書の検定をめぐって

2008年1月19日付 中外日報(社説)

NHKテレビの「のど自慢」の番組では、演歌を熱唱するお年寄りに鐘一つしか鳴らない。だが若者がブツブツと何かつぶやいているなと思ったら、これが合格で、鐘が乱打される。歌の評価は全く変わった。

東北本線の上り列車が福島県鏡石町の鏡石駅に停車した時、東北大学相撲部の監督で脚本家の内館牧子さんは、乗り合わせた七十代らしい女性が部員の学生たちに「ここが『牧場の朝』の唱歌の生まれた牧場のある土地ですよ」と話しかけるのを聞いた。

ところが学生たちはみんなキョトンとして「牧場の朝」って何ですか、といった表情をしている。内館さんとその女性は「学校で習ったはずよ」と前置きして「ただ一面に立ちこめた/牧場の朝の霧の海……」と歌って聞かせた。まわりの座席からも声を合わせる乗客がいた。しかし学生たちの表情は変わらない。

内館さんは東京都教育委員も兼ねているので、教科書採択の際は、全教科の教科書に目を通す。音楽の教科書で、時代の推移とともに古い歌が削られ、新しい歌に取って代わられるのはやむを得ないことだが「牧場の朝」のようなリズム感あふれる名曲は、たとえ教科書から姿を消したとしても"なつメロ"好きな親や社会人を通じて、児童や生徒に伝えられていると信じていた。それが見事に裏切られた――と週刊誌のエッセーに寄稿したのは、約一年前と記憶する。

内館さんはこのエッセーの中で、教科書から消えた歌の中から「牧場の朝」はもとより「里の秋」や「冬の夜」など民族の心を象徴するような曲は、ぜひとも復活させてほしいものだと願っていた。

こういってはなんだが、音楽の場合は「歌は世につれ、世は歌につれ」的な要素もあることだし、一つの話題として片付けることもできよう。しかし昨年後半の高校用日本史の教科書検定問題は、歴史をどう受け止めるかの史観の争いとからんで、さまざまな波紋を呼んでいるようだ。

沖縄の戦闘で、非戦闘員だった住民の「集団自決」記述について「日本軍による命令・強制・誘導等があった」とする表現を、教科書から削除・修正させた検定に対し「軍の強制があったのは事実だ」とする抗議が高まり、教科書出版の六社すべてがその部分の訂正を申し出た。いったん検定をパスした教科書の内容をすべての社が修正したいと申し出るのは、教育史上、異例のことである。

マスコミや評論家は、この経過にそれぞれの立場から論評を加えた。一部の新聞の間では、沖縄県宜野湾市で開かれた抗議の「県民大会」の参加者が実数何万人であったかの"数字の争い"に転化させたと思える論争もあった。結局は「軍の関与があった」との表記で決着したようだ。

この論争について、教育界のあるOBは「なぜ、だれも『戦陣訓』に言及しないのだろう」と言う。「戦陣訓」は太平洋戦争開戦の十一ヵ月前の昭和十六年一月に、陸軍省から「示達」された。「軍人勅諭」を補強する形で、軍人のとるべき言行の基準を示したものだが、中国戦線の膠着化で低下気味だった「士気」を高める狙いがあったといわれ、その中には「生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかしめ)を受けず」の一句があり、捕虜になるくらいなら自決せよ、と説いていた。陸軍の軍人への示訓だが、やがて拡大解釈されて、海軍や民間人もこれに従うべきだとされるようになった。

この「示達」があったため、サイパン島でも沖縄でも、民間人が軍人とともに自決する機運が生じた。こうした背景を無視して沖縄の悲劇を論評することはできないはず、とこのOBは指摘している。

「戦陣訓」が定められた当時の陸軍大臣が、開戦時の首相・東条英機だったことも注目される。