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修正会の祈りから世界平和の発信を

2008年1月10日付 中外日報(社説)

正月は、さまざまな宗教行事が行なわれる。それが年ごとに盛んになってきたのも喜ばしいことだ。

仏教では修正会がある。毎年元旦から、国家安穏・寺門興隆のために奉修する法会である。正月の年始に行なうから修正という。わが国では神護景雲二年(七六八)正月に初めて修正会があった。淳和天皇の天長四年(八二七)正月、東寺と西寺とに四十九僧を出請して、七日間(一七日間)、薬師法悔過(げか)を修して以来、高野山をはじめとして広く諸国の主要な寺院でもこの修正会が行なわれるようになった。

また、後七日御修法がある。これは毎年、正月元旦から七日まで宮中前七日節会が皇霊殿で行なわれるのに対して、八日から十四日まで七日間厳修される仏事を宮中後七日御修法といい、もしくは真言院御修法ともいった。

仁明天皇の承和元年(八三四)正月、弘法大師空海が奉勅して中務省で最初の後七日御修法を行なった。そして、この年十二月に空海はこれを正月恒例の厳儀とするように上奏し、十二月二十九日に勅許の官符を得た。空海は翌二年正月、宮中真言院で、この大法を厳修した。その後、『御遺告』によると、後七日御修法は二十四人の定額僧をもって執り行なわれたところの国家の行事であった。

しかるに明治維新に神仏分離令の発布があった。明治四年(一八七一)九月に太政官布告があって、宮中真言院における後七日御修法の仏事は廃止された。

明治十五年(一八八二)三月、真言宗では再興願を宮内卿に提出した。翌十六年一月八日から七日間、東寺潅頂院を道場として勤修するようにとの許可があった。爾来、一宗の長者が大阿闍梨(大導師)を勤め、十四人の定額僧が出仕してこの大法が厳修されたのである。

戦後は真言宗各派総大本山会(略称・各山会)の主催で東寺潅頂院において後七日御修法が行なわれている。行事内容は弘法大師空海が当初、宮中真言院で奉修したとおりの伝統が厳重に守られている。修法の趣旨は、玉体安穏・万民豊楽・国家繁栄のために熱祷を献げることにある。一宗の長者が大阿闍梨となって十四人の定額僧が選ばれて出仕し、御衣(ぎょえ)加持の大法を厳修する。幾多の歴史的変遷はあったけれど、千二百年近くにわたってその法灯が連綿として継承されてきたのは、無形の尊い世界遺産だといわなければならない。

さて、正月のさまざまな宗教行事の核心が年始の祈りにあることは、言うまでもないが、二十一世紀の今日、伝統的な型どおりの行事にとどまるだけでよいものか、どうか。その儀礼儀式の趣旨の内実を現実的に問い直す時がきているのではなかろうか。

もとより伝統の規範は揺るがし得ないものではあるが、時代の危機的状況に即応して宗教界が実働を起こすことは現代社会の要請であることを真摯に受け止めるべきではないか。宗教的な祈りを一過性の儀礼儀式で終わらせるだけではもったいないことである。

わが国に限ってみても、道義の退廃、哲学の不在、宗教意識の希薄、総じて精神文化の低落は、その極に達しているといってよい。まさに混迷を極める末法の時代ではある。

一方また、世界は新しい国家主義-その内実は軍国至上主義-と自民族中心主義(エスノセントリズム)の波に翻弄されている。

昭和六年(一九三一)の満州事変勃発に端を発して、やがて日中戦争に発展、昭和十六年の太平洋戦争の開戦、そして昭和二十年の敗戦によって十五年戦争は終結したのである。わが国が長い戦争の時代に突入したのには多くの複合的な要因があるけれど、要するに軍国主義の暴走にすぎなかった。

今や世界は核兵器をはじめとする軍備力の増強に競奔している。わが国もまた歴史が逆行し始めている感を否めない。人類の知恵は戦争という暴力主義の論理にとどまっているのでは、まだ低劣だと言わざるを得ない。核廃絶、軍縮による恒久平和こそ人類の悲願でなければならない。

出世間という高次元の理想主義の立場から正月の宗教行事の祈りは、世界恒久平和の発信となってほしいと願わずにはいられない。