ニュース画像
多くの人が見守る中、彰義隊墓所で盛大に営まれた150回忌法要
主な連載 過去の連載 エンディングへの備え
苦縁―東日本大震災 寄り添う宗教者たち
購読のお申し込み
新規購読キャンペーン
紙面保存版

初日に向かって新たなる誓いを

2008年1月1日付 中外日報(社説)

平成の御代も今朝をもって、はや二十回目の初日の出を迎えた。青い地球はいままた新春の瑞気とともに、新しい一年間の転回を始めたのである。規則正しい日月星辰の運行が、汚濁に満ちて停滞する人間世界と無関係に、淡々として新しい軌道に就くことは、人知をはるかに超えた、大自然の尊き摂理と言うほかはない。

人類は大自然の摂理に逆らうことなく、感謝の念をもってその恵みを享受することを、共通の「誓い」としなければならない。それが、人間とともにこの地上に棲息しつつある罪なき動植物たちのためにも、なすべき人間の責務でもあることを、われわれはあらためて思い致すべきではないか。

昨年九月十四日、月周回衛星 「かぐや(SELENE)」 が打ち上げられた。十一月十四日の夜、その「かぐや」が月の背後から送ってきた地球の映像をテレビを通じて見た人の多くは、青い地球が月の地平線から宇宙の闇の中へ沈んでいく瞬間の様子に感動を覚えたに違いない。それはわれわれの先祖たちが、西の空に落ちる真っ赤な太陽を拝んだのと全く同じ質の敬虔の念であろう。

少なくとも筆者にとってあの瞬間の感動は、科学の成果とは無関係であった。人間の成し遂げた科学的達成への驚嘆よりも、むしろいままで秘められていた宇宙の神秘のベールの向こう側を見る思いで、ただただ畏敬の念を禁じ得なかったのである。

まさに仲秋の名月にも似たあの青い地球の上に、この自分も棲息しているという当然の事実が、いまさらに不思議に思われたのである。同時にあの美しい惑星において、人間という動物によってなされているさまざまな反自然的行為の犯罪が、ひしひしと懺悔せられた。

「人間とは一週間の仕事が終わり、神さまが疲れた時に作られた生き物である」(マーク・トウェイン)といい、「人間は、自然の犯した唯一の誤りである」(ウィリアム・ギルバート)という箴言が、本当にその通りだと思われたのである。

われわれ人類が人間同士の争いをやめねばならないということは、いまさら言うまでもない。もしそれができないとしたら、人間自身が代償を支払うべき自業自得の行為を犯したことになる。

しかし、自業自得を越えて、人類に課せられた大きな責任がある。生物を慈しみ育ててきたあの青い地球を守らなければならない、ということだ。人間はいまその欲望とエゴによって自分たちの住む地球を破壊しつつある。それはがんが健康な身体をむしばむように、あの美しい地球をむしばみつつあるのである。

同時に感じたのは、地球が沈んでいった宇宙空間の、その底知れない闇と沈黙の恐ろしさであった。人間は地球を包む大気圏の外にまで進出してしまったのであるが、そこは何ものも生きることのできない「死の世界」である。人間はいまこうして、大気圏という「温床のガラスを破って死の世界に直面した」(西谷啓治)のである。

二十世紀末から今世紀にかけて、宇宙開発の進展は目覚ましいものがある。それは確かに人類の成し遂げた科学的成果であるが、何のために巨額を投じてなされてきたかといえば、主に防衛戦略のためであった。しかし、そんなものは広大な虚無の宇宙空間から見れば、「蝸牛角上の争い」にも足らぬものである。

人類は、地球とそこに生きるものたちを保護するため、一日も早く「蝸牛角上の争い」はやめなければならない。そして、科学が人間の欲望に駆られてモラルのコントロールを失い暴走することに対しても、真剣に歯止めを考えるべきだろう。

地球に慈しみ育てられた者として、われわれは国境を超え、民族を超え、宗教を超えて戦争廃絶の誓いを共有する必要がある。「かぐや」が見せてくれたこの美しい星の姿を拝し、あらためてその思いを強くした。