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無くてはならぬものとはなにか

2007年12月15日付 中外日報(社説)

タクシー料金が値上げになった。燃料費の甚だしい高騰の上に、諸規制緩和でタクシー業界への参入が容易になり、過当競争が発生して一台当たりの「水揚げ」が減り、運転手は歩合制だから給料が減った上に労働が強化されて、今のままでは維持できないのだという。企業の競争が激化すれば商品は値下がりというのが常識だったが、その反対の現象が起きているわけだ。

これはタクシー業界だけのことではなく、現在から将来に及ぶ経済の方向を先取りしているのかもしれない。というのは、原油が高騰するについては投資筋の先物買いだけではなく資源自体の枯渇の不安があり、さらに地球温暖化の傾向が明らかになって、従来の経済成長万能路線にブレーキがかかると思われるからである。

仮に経済成長がゼロになろうと、自由経済は競争社会だから、利潤が増えなくなっても設備投資や技術革新を止めるわけにはゆかない。リストラもあるだろう。すると勤労者所得が増えないばかりか、減少することになる。その結果、購買力が低下するから、ますます不況となり、企業はコストダウンが不可能になった分だけ商品の値上げに踏み切ることになろう。

モノ余りの物価高という従来の常識にはない事態が起こるわけだ。つまり、タクシー業界で起こったことが経済界全体の趨勢となるわけで、これはもう未来のことではなく、現実に起こりかけていることかもしれない。

人類は近代以降、科学技術の進歩の成果を「資本主義的」商品生産の枠内に取り込んで、大変な進歩を達成した。その結果、生活が豊かに、便利に、また快適になったことは争えない。その間「帝国主義的」戦争という不幸があり、またマルクス主義という敵も現われたが、「資本主義」は(資本主義という言葉は批判を含意しているので自由経済という言葉が好まれるが)なんとかその困難を乗り切ってきた。

ポストモダンという、さまざまな意味に使われる提言に対しても、自由経済にはまだ終わりは来ていないと主張された。しかし、もしもモノ余りの物価高ということが一般的現実になったら、これは経済格差の一層の増大であるばかりではなく、社会は全体として貧困化してゆくと見なければなるまい。

宗教は一般に経済には無関心であり、無力でもあった。しかし経済成長がすくなくとも鈍化するとしたら、当然何を作るかが問題となる。むろん、この点で宗教が経済成長に寄与すべきだというのではない。そうではなく、いまや社会全体が、損得を抜きにして、いったい人間にとって何が本当に必要なのか、考え直さなくてはならない時に来ている、ということである。

近代は(戦争や軍備はもちろん)商品生産一般について、あってはならないもの、無くても済むものを作り出して、多くの人命や空気や水や資源のような尊いもの、無くてはならぬものを損耗してきた。本当に無くてはならないものを作り出し、無くてもいいものを減らすのでなければ、地球の将来は危ない。

ところで、無くてはならぬものとは何か、知っているのは宗教なのである。いまや宗教はそれを現代人に通用する言葉で語らなければならないが、宗教者にその準備はどれだけあるだろうか。