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多重苦に苦しむ「災害弱者」たち

2007年12月11日付 中外日報(社説)

改正被災者生活再建支援法がこのほど成立し、被災者の住宅再建に最大三百万円が公費助成される。もともとこの法律は平成七年(一九九五)の阪神・淡路大震災を機に、同十年に制定され、その後の改正を経て、今回の二度目の改正でやっと被災者の悲願だった住宅本体再建への支援が実現した。一歩前進ではあるが、この間に要した十余年の歳月に、あらためてこの国の政治に対するもどかしさが募る。

阪神・淡路大震災で「災害弱者」という言葉がよく聞かれたが、被災の現場で筆者はもう一つ「中間層の受難」ということを主張した。大震災で約十一万二千棟が全壊・全焼した。家を失った被災者の多くは、働きに働いて戦後の日本を高度成長に導き、経済大国を支えてきた人々だった。「団塊の世代」は、その中核を占める現役世代で、「会社人間」とか「企業戦士」という熟語も生んだ。そうした中間層は家族のことを思い、少しでも広いマイホームを夢見て長期のローンを組み、マンションなどを購入した。

ところが一瞬にそのマイホームを失ってしまうと、自宅の再建に公的な助成はゼロ。全国から寄せられた空前の千七百五十億円の義援金も被災者が膨大過ぎ、一世帯最高でも四十万円にしかならなかった。自宅を再建するのに結局、再びローンを組んだり、新たな借金をすることを迫られた。「二重ローン」とか「多重ローン」の重圧に苦しまなければならなかった。今も歯を食いしばって、その返済を続けている人が少なくないはずだ。

つまり日本は世界第二位の経済力を持ちながら、その経済の担い手にさえも、いったん災害に遭うと実に冷淡な顔を見せる国ということだ。そんな国が、「災害弱者」に対しては手厚い生活保障をするなど、もとより考えにくい。

以前にも本欄で少し触れたが、平成十年の支援法制定に向け市民運動を起こした作家の故・小田実さんは、被災者の住宅再建への公費助成の必要性を熱心に説いた。だが、財務省(当時大蔵省)が「個人資産の形成に公費は使えない」と難色を示した。支援法の制定で、その後の災害被災者は生活必需品の購入などに最高百万円の公費を受給できるようになり、同十六年の改正で家屋の解体・撤去費や住宅ローンの利子支払いに限って最高二百万円に増額された。

しかし住宅本体への支援がないと、平均的な世帯では再建は困難をきわめる。それは、例えばことし三月に起こった能登半島地震で、仮設住宅の被災者のうち、半年たっても自宅再建のめどが立っているのは四割程度だと報道されたことでも明らかだ。また、所得制限などの高いハードルがあり、支援法の助成制度すら利用者はきわめて限られていた。

そんな現状に小田さんが生前「不満はあるが、市民運動で(住宅再建支援への)土台をつくったことに意味があった。この土台を発展させていけばいい。マスメディアも、出発は市民運動にあったことをもっと報道するべきだ」と、筆者に力説していたことを思い出す。土台の発展を見ずに小田さんが逝ってしまったのは残念だが、今の言葉を裏返すと、市民がよほど大きな声を上げないと、この国の政治は動かないということである。

今回の支援法改正の対象は能登半島地震とその後の大規模災害にさかのぼり、所得制限も撤廃された。だが、助成額を含めてまだまだ「一つの前進」の域を出ない。人の営みにとって住まいは基本的な人権にかかわる重要な要素だ。住む場所を失った苦しみは、並大抵のことではなかろう。最低限の住まいの保障は生存権の問題であるが、災害列島であるがゆえに、なおさら国の責任は免れない。そんな視点で支援法をさらに一歩前進させたい。