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『荘子』の篇名と阿諛追従の解釈

2007年11月27日付 中外日報(社説)

『老子』とならんで道家思想の代表的な古典である『荘子』。

――北の冥(うみ)に魚有り、其の名を鯤(こん)と為す。鯤の大いさ、其の幾千里なるかを知らず。化して鳥と為り、其の名を鵬(ほう)と為す。鵬の背、其の幾千里なるかを知らず。怒りて飛べば、其の翼は天に垂れる雲の若し。

是の鳥や、海運(うご)けば則ち将(まさ)に南の冥(うみ)に徙らんとす。

開巻冒頭の逍遥遊(しょうようゆう)篇からして、このように奔放で幻想的なイメージを喚起する文章をもって始まるのだが、逍遥遊篇に続く斉物論、養生主、人間世、徳充符、大宗師、応帝王の諸篇、それら三字から成る篇名もまた極めてユニークである。

五世紀の中国、梁の道士の陶弘景が編纂した『真誥(しんこう)』、すなわち道教の神々である真人のお告げを集成した書物も、運題象(うんだいしょう)などなどと三字を篇名とし、陶弘景はその理由を次のように説明している。

「そもそも真人の教えは、世俗一般の題目と同じにするわけにはゆかぬ。謹んで緯候の書に手本を仰ぎ、その義例を求めて三字を篇名とする。『荘子』の諸篇も同様であるのは、思うに長桑(ちょうそう)公子の微言だからである」

「緯候の書」とはもっぱら漢代に制作されたとされる神秘思想の書物であって、それらもやはり通卦験(つうかけん)、考霊曜(こうれいよう)、含文嘉(がんぶんか)などなどと三字を書名とする。

また「長桑公子の微言」というのは、『真誥』の稽神枢(けいしんすう)篇に「荘子は長桑公子に師事して微言を授かった。これを『荘子』と呼ぶ」とある摩訶不思議なお告げの言葉を受けてのことであり、そこの陶弘景の注記には、長桑公子とは古代の名医として知られる扁鵲(へんじゃく)の先生だとある。

ところで唐の玄宗の天宝元年(七四二)、荘子に南華真人、列子に沖虚真人、文子に通玄真人、庚桑子(こうそうし)に洞虚真人の尊号を贈り、これら四真人の著書を真経と呼ぶべしとの詔が下された。

玄宗は道教に入れ揚げた天子で、すでにそれまでに老子には玄元皇帝の尊号が贈られ道教の神々の中核の位置を占めていたのだが、これらの四子が新たに老子を取り巻く座を与えられることとなったのである。

その時、陳希烈なる人物は、かつて『荘子』の講書を担当した際、玄宗との間に交わした対話を再度持ち出して玄宗をいたく喜ばせた。その対話とは、

「『荘子』に養生主篇があり、朕は不老長生の術について悟るところがあった。それ以下に徳充符篇があるが、何かただならぬ応験があるのであろうか」

そのように問うた玄宗に陳希烈がこう答えたのである。

「陛下、徳は内に充ち、符は外に応ず。発言の後、必ず大慶の以て之れに応ずること有らん。後篇の中、所謂(いわゆ)る応帝王の篇是れなり」(『新唐書』巻二二三・姦臣伝、また『冊府元亀』巻五四)

陛下におかれては聖徳は内に充ち満ち、その符(しるし)が外に応験するのです。お言葉を発せられるならば、きっと大いなる幸いの応験が現われるでありましょう。その後に応帝王篇があるのはそのことなのです――。

およそそのような意味であろうが、「徳は内に充ち、符は外に応ず」なる言葉には、もとより「徳充符」の三字が巧みにはめ込まれているのである。また「応帝王」とは帝王に応ずという意味だというのである。

その上で陳希烈は、今年の正月、玄元皇帝が宮城の門前に降臨して、「天下は太平、聖寿は無疆(むきょう∥無限)」と告げることがあったという実(まこと)しやかな話を語り、それこそ天から降されたまぎれもない「霊符(神秘のしるし)」なのだと述べたのであった。

このように『荘子』の三字から成る篇名は、あれやこれやのこじつけをも可能とするユニークで不思議なものなのである。