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マスコミ報道の東と西の温度差

2007年11月22日付 中外日報(社説)

大阪市長選挙で、元民放アナウンサーの平松邦夫氏が当選したと聞いても、関西以外の地方では「そんな人、いたの?」という印象だったのではないか。特に平松氏が、ローカルニュース番組のキャスターだったということが、意外性を強めたようだ。

テレビ評論家は、東京のテレビ局のローカルニュースは、つまらないという。東京で起こったニュースの目ぼしいものは、全国中継で流される。ローカルニュースでは、二番せんじ的な話題しか出てこない。そのローカルニュース専門の元キャスターが、なぜ大阪市長の座を射止めることができたのか、と。

だが、大阪のテレビ各局は、ローカルの時間に、腕によりをかけた映像を磨き上げて編集し、放映する。平松氏はその大阪発信ニュースの興隆期に、長年にわたりキャスターを務めた。当時の印象は今も、大阪市民にしっかりと記憶されていた。テレビの世界では、東と西で、これだけの温度差があるのだ。

東京と大阪で、ニュース感覚に差があるのは、新聞も同じである。同じ社が発行する新聞でも、東京発行の紙面で銀座の柳が秋風にそよいでいる日、大阪発行の紙面では御堂筋のイチョウが色づいていたりする。社会面など、全く別の新聞のような印象を受けることも少なくない。

その傾向が、昨日や今日に始まったのではないことを、先日、久しぶりに神奈川県鎌倉市を訪れて再認識した。秋晴れの日曜日とあって、市街地の道路は観光客でいっぱいだった。案内してくれた友人が尋ねた。「御谷(おやつ)という地名を知っているか?」。知らないと答えると、その御谷は、古都保存法(古都における歴史的風土の保存に関する特別措置法)制定の原動力となった市民活動の"聖地"だと、友人は熱を込めて語った。

昭和四十一年に制定された古都保存法は、京都や奈良、鎌倉などの歴史的風土の残る地域を開発の波から守り、保全しようとするもので、後に幾つかの自治体が追加指定された。

関西に住む筆者は、昭和三十年代の後半に、京都の双ヶ岡や奈良の若草山、三笠山などが開発の危機にさらされた時、住民の世論の高まりから法制定が行なわれたと認識してきた。関西地方で発行される新聞には連日、関西での世論の動向などが詳報された。

ところが鎌倉在住の友人によると、御谷を開発から守ろうとする住民運動の方が時期的に先行していたという。御谷とは、臨済宗の大本山建長寺と鶴岡八幡宮の背後の自然林の一角で、その山林は大本山円覚寺の方向へ延びている。鎌倉で最も鎌倉らしい風致を伝える場所である。貴重な植物も群生している。

その御谷の谷に、測量用の棒を持った作業員たちが出入りするようになったのは、昭和三十五年のある日だった。この一帯を開発して宅地化する動きがあるらしい。神奈川県も鎌倉市も開発を認可するという。近くに住む天野久彌さん(故人)ら有志は「とんでもない」と立ち上がった。

鶴岡八幡宮の岡田実宮司をはじめ鈴木大拙、川端康成、大佛次郎、吉野秀雄、鏑木清方、伊東深水の各氏ら、当時鎌倉在住の宗教者や文化人が、県・市などに提出する上申書支持の署名をした。円覚寺の朝比奈宗源管長や円覚寺派東慶寺の井上禅定住職は温かく天野氏らを励ました。

現地へ進入しようとする業者のブルドーザーを、身をもって阻止する場面もあり、開発は見送られ、その翌年、古都保存法の成立をみたという。

当時の新聞は、東京版では主として鎌倉の情勢を伝え、大阪版では双ヶ岡や若草山に重きを置いて報道した。バランスのとれた報道が行なわれていたら、古都保存法についての認識もより広く確かなものになったのではなかろうか。