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多様な解釈が可能な古典としての『論語』

2007年10月27日付 中外日報(社説)

『陳書』儒林伝の王元規伝に次のような話がある。『陳書』は六世紀後半の中国の江南を支配した陳王朝、すなわち六朝時代の最後の王朝の歴史を伝える正史である。

八歳にして父親を失った王元規は、十二歳の時、母方の叔父を頼りとすべく母親に連れられて兄弟三人とともに臨海郡へと赴いた。臨海郡の郡治は章安。現在の浙江省臨海市である。

その土地に巨万の富を蓄える土豪の劉●(りゅうてん)なる者がおり、娘を王元規と結婚させたいと申し入れてきた。王元規が生を受けた王氏はそもそも太原(山西省太原市)を出自とし、その当時、太原の王氏といえば誰しもが知るれっきとした名門貴族であった。

一方の劉●は、臨海郡ににらみをきかす土豪であるとはいえ家柄の点では引け目を感じざるを得ず、王氏と縁組をすることによって社会的名声を得ようと考えたのに違いない。

三人の子供はまだ幼く、生活に不安をおぼえる母親は、劉●からの申し入れに少なからず心を動かされたのだが、王元規は涙ながらにこう訴えた。

「縁組の相手を選ぶのに親しく付き合ってゆける人間を見誤らないようにするのは古人が大切に考えたことです。一時的に見知らぬ土地に身を置いているからとて、同類ではない人間とおいそれと結婚することなどできましょうか」。母親もその言葉にはっと心を打たれ、劉氏との縁組をあきらめたのであった。

王元規の言葉を訓読で示すならば、「姻に親を失わざるは古人の重んずる所なり。豈(あ)に苟(かりそ)めに異壌に安んじ、輒(すなわ)ち非類と婚するを得んや」となる。

今日のわれわれに言わしめるならば極めて差別的な発言ではあるけれども、今ここで取り上げたいのは「姻不失親、古人所重――姻に親を失わざるは古人の重んずる所なり――」の一句である。

この言葉は実は『論語』学而篇の一章に「因不失其親、亦可宗也――因に其の親を失わざるは亦た宗とす可(べ)きなり――」とあるのに基づくのだが、王元規は「因」の一字を音通の「姻」と読みかえて伝統的な解釈とは異なる意味に用いているのである。

南宋の王楙(おうぼう)のエッセー集である『野客叢書』、その巻二四に収める「在人賢識其大」と題された一文にそのことを取り上げて次の指摘がある。「是れ相い因るの字を以て婚姻の字と為して用う」

また清朝の学者の銭大昕(せんたいきん)が、「此れ因を以て婚姻と作(な)して解す。『論語』の孔安国(こうあんこく)の義(解釈)と異なる」(『廿二史考異』巻二七)と指摘しているのは、漢代の学者である孔安国が、「因は親なり。言うこころは、親しむ所、其の親しきを失わざる、亦た宗敬す可し」と注釈を施しているからにほかならない。

つまり、『論語』の「因不失其親、亦可宗也」の句を、頼りとすべき相手を選ぶのに親しく付き合ってゆける人間を見誤らないようにするのはこれまた尊敬すべきことだ、そのような意味に理解するのが伝統的な解釈なのであった。

王楙は『論語』学而篇の「因」を「姻」に読みかえた用例として、王元規の言葉のほかにも、唐の玄宗時代の文人である張説(ちょうえつ)の「府君墓誌」に「姻に親を失わず、官は其の旧に復す」とあることを指摘しているのだが、それだけにはとどまらないのであって、たとえばかの白居易も「新たに皇甫と結姻す」との自注をそえた「閑吟、皇甫郎中親家翁に贈る」と題する七言詩に、甥の亀郎(きろう)が皇甫曙(こうほしょ)の娘と結婚した喜びを「晩に嘉姻に接して親を失わず」とうたっている。

かく六朝時代、また隋唐時代において、『論語』の「因」を「姻」と読みかえる解釈が広く行なわれたのは、それが門閥貴族主義の名をもって呼ばれるところの家柄が極めて重んじられる時代であったからにほかなるまい。

それに加えてわれわれは、ここに取り上げたのを一例として、『論語』がさまざまの読みを許容するものであることを、古典とはそもそもそのようなものであることを知るのである。


●=「おうへん」に眞