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競争の空しさ

2007年10月23日付 中外日報(社説)

景気は戦後最長の持続を記録しているというが、あまりその実感がないのはやはり勤労者所得の伸びが悪いからだろう。

小泉内閣がとった新自由主義政策は諸制限の緩和や撤廃で自由競争を促進した。しかし現在の状況で競争が激化すれば得をするのは強者つまり大企業とアメリカに決まっている。実際、好景気といっても、いわゆる景況感は平成五年以来一貫して、中小企業の方が低い。

小泉内閣によると大企業の景気回復が日本全体の景気を牽引するはずだった。しかし景気は輸出に支えられているので、競争力の低い中小企業はその恩恵にあずかれない。それどころか金属や軽油、重油など原料の高騰に苦しんでいるのが実情である。

ところで勤労者所得を抑えるのは国際競争に勝つためだ、という言い訳がまるで錦の御旗のように通用している。

しかし高齢の人なら、あの「欲しがりません勝つまでは」という戦中の標語を思い出すだろう。昭和前半の日本では――むしろ明治期以来といえるだろう――国際競争に勝つためという国策の前に、どんな反対も沈黙させられてしまったのである。

日本には鉄や石炭が少ないから、国際競争に勝つためには中国東北部(当時は満州といった)を支配することが必要だ、日本には石油やゴムやスズがないから、国際競争に勝つためには南太平洋を制圧することが必要だ、そのためには米英オランダの勢力を駆逐することが必要だ。日本には資源が不足しているから、国際競争に勝つためには節約し倹約しなければならない、「ぜいたくは敵だ」というわけである。

「お国のため」は「国際競争に勝つため」と同義であった。

植民地主義が終わっていなかった当時は、石炭や石油が必要なら貿易を振興して買えばよいという発想がなかった。その代わり、国を挙げて愛国心と好戦気分を煽りたて、無謀な戦争を仕掛けて近隣諸国に大迷惑をかけ、日本自身もひどい目に遭った。

競争が経済の発展を促進することは事実である。「資本主義」は自由経済が建前で、自由経済は競争によって成り立つ。しかし競争すればそれでよいというものではない。

共産主義が敗北して以来、「資本主義」諸国では平等が軽視されている。しかし、経済格差が広がり、勤労者所得の伸びが悪いということは、購買力が抑えられるということで、これでは景気の実質的拡大は望めないのである。

人間は子供のゲームからオリンピックにいたるまで、何によらず競争が好きで、勝つことは大好きである。勝っても負けても世の中にたいして影響のないことでも、勝負に熱狂し、勝ったといっては大喜びをし、負けたといっては口惜しがる。たしかに大発見や発明は大切だし、超美技は見るに値する。しかし、それと競争とは別ものだろう。

自我は安全と勝利を求めるものだ。そこには他人を排除して自分だけの利益を追求する志向がある。

古来宗教者は競争を嫌った。「人の上に立つことを求めるな。君たちはむしろ下にいて、人にためになることをなせ」とイエスは言った。

競争と勝利に終わりはない。経済競争が環境の破壊と資源の枯渇をもたらすことは明らかになっている。戦争が平和ではなく混乱と悲劇をもたらすことも明らかだ。

競争の虚しさ、勝つことばかりを求める弊害を考える時が来ているというべきだろう。