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ミャンマー情勢継続的な監視を

2007年10月6日付 中外日報(社説)

ミャンマーにおける僧侶・市民のデモに対する軍事政権の弾圧が国際的に大きな批判を浴びている。

デモは八月十五日、政府がガソリン価格等の大幅引き上げを実施したことがきっかけになったといわれる。全ビルマ青年僧侶連盟のアシン・ケマサラ議長が日本の僧侶などにあてた緊急の支援要請(九月十八日付)によると、学生、市民の間で軍政に反対する動きがすでに八月第一週から始まっていたという。

九月五日にはミャンマー中部のパコックという町で僧侶が平和的な行進をしていたところ、軍が投げ縄を使って参加者の僧侶をつかまえ、殴りつけた上で、逮捕連行した(同上)。

九月十七日を期限として政府に求めていた僧侶釈放等の要求に回答がなかったことから、十八日にはヤンゴンなどで軍事政権に対する僧侶の覆鉢行(ボイコット)と抗議のデモが実施された。それに賛同する市民がデモの列を取り囲み、二十四日には十万人規模にまで膨れあがった。

二十六日には軍・治安当局が武力でデモの鎮圧を断行。その後、日本人ジャーナリスト長井健司氏が死亡し、その殺害の瞬間の映像は強いショックを与えた。実数はつかめないが、僧侶などデモ参加者にも多くの犠牲者が出ており、治安当局に拘束された僧侶・市民の数は千を超えることは確実とみられる。

そればかりか、兵士が寺院を襲撃し、僧侶を無差別拘束したり、あるいは建物を破壊し、略奪するなど、仏教国ミャンマーのイメージを覆すような蛮行も報じられている。

ミャンマーでは一九八八年の民主化運動のデモでやはり軍が市民に発砲し、千人以上の死者とさらに多数の負傷者、逮捕者、行方不明者が出た。今回、デモ現場での死者数は八八年当時より少なく、すでに逮捕拘束者の選別、一部釈放も行なわれているようだ。しかし、その一方でビデオ、写真等からデモ参加者を割り出し、新たに検挙することも始まった。

国軍の武力弾圧により、もはや大規模な抗議行動は見られず、表面的にはミャンマー情勢は沈静化しつつあるように見える。日本のマスコミ報道も急速にトーンが下がる可能性が高いが、八八年の前例などから見て軍事政権の報復はこれから本格化する、と危惧する声は多く聞かれる。

ミャンマーの国内政治に詳しくない多くの日本人にとって、ミャンマーの軍政が絶対に悪く、民主化が善いのかどうかは容易には判断しかねる。しかし、八八年の民主化運動、九〇年のマンダレーの僧侶による軍人からの寄進辞退・法要出仕拒否(覆鉢)などの同国の歴史の流れを踏まえると、今回、僧侶が主導でデモが行なわれた意味は重く受け止めるべきだろう。

ところで、仏教国ミャンマーの僧侶によるデモとそれに対する軍の武力行使というショッキングな事件に対し、日本の仏教界の反応は比較的早かった。教団レベルでは妙心寺派が九月二十七日に宗議会で緊急宣言を採択したのを嚆矢として、全日本仏教会や主要な大宗派、諸団体が相次いで軍事政権の弾圧に抗議の声明を発表している。

これらがほとんどの新聞で、いわゆる"ベタ記事"扱いだったのは、そのこと自体、別な形であらためて深刻に考える必要があるだろう。だが、これとは別に気にかかることがある。

つまり、デモを取材していたジャーナリストの長井さんが殺害されたことをきっかけに、急速に増えたミャンマー情勢の報道が潮が引いてゆくように減り、市民の関心も薄れる中で、仏教界もそれに歩調を合わせて、一枚の声明文で能事畢れりとしてしまうようなことが仮にあったとしたら、あまりにも残念だ、ということである。

今度の抗議行動で法衣をはぎ取って強制還俗させられ、収容所に送られる僧侶の数は数百人の単位では収まらないのではないか。彼らのその後の運命は知られることなく終わる恐れもある。声明文を発表した教団、団体は、マスコミの報道の多寡にかかわらず、仏教国ミャンマーで起こりつつある出来事をぜひ執拗に監視し、必要な対応を取ってほしい。"同じ仏教者"としてのそうした行動は、確実にミャンマーの人々を支える力になるだろう。