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長期的な見方の大切さを考える

2007年9月25日付 中外日報(社説)

昔、ある編集者から耳にした言葉がある。その言葉が、いつまでも耳の底から離れない。

「お坊さんの発想はすごいですね。われわれの常識では数日、一ヵ月、せめて三ヵ月というのが、問題にする時間の単位だが、お坊さんの話を聞いていると、十年単位で過去を振り返り、将来を見据えて行動している。これはすごいことですよ」。ほめ言葉と聞いて、こちらは少々赤面したものである。

僧侶の側からは「いつも代わり映えせぬことをやっていていいのだろうか」という反省もなくはない。

あらためて芭蕉の「不易(ふえき)と流行(りゅうこう)」という言葉が想起される。いくら理想を描いたとしても、過ぎゆく時間の中で、「今、どうするか」という現実への対処に失敗したならば、何を考えても、何を言っても無為に帰するからである。

ギリシャといえば、古代はアテネなどの都市国家にソクラテス、プラトン、アリストテレスの哲学が栄え、華麗な文化が花開いたが、現代のギリシャは古典古代とは別の国である。ギリシャ時代に続くローマ帝国の栄光と没落は、塩野七生さんが厳しく分析し、今後の日本の指標として広く読まれているようだ。歴史ではさまざまな国が栄光の歴史をしるした後に、情勢の変化とともに衰退していった例が多い。

そうした歴史を知れば、日本の繁栄もまた泡沫(うたかた)のようなものか、という思いが脳裏をよぎる。今後、厳しい歴史の試練が待ち構えているのは確実だろう。現実に戦後六十年が経過し、その間の社会の変転は驚くべき事態の連続であったといってよい。そして今、グローバルスタンダードという潮流の中で、日本は経済でも政治でも慎重な舵取りを迫られている。文字通りその舵取りは、一瞬一瞬の適切な判断が不可欠だ。特に、アメリカのサブプライムローン問題の影響が象徴するように、近年、経済状況の変転は著しく、思いがけない横波に舵を奪われる危険もないとはいえない。

だがその一方で最近、マスメディアで「長期的展望」とか「人材発掘」という言葉を目にすることが多くなってきた。「精神的基盤」ということもしばしば問われている。そうした傾向の中で「仏教」を冠する出版や放送も盛んに行なわれている。

これらは、羅針盤を持たず漂流する日本文化の行方への不安と危機感、己の精神的基盤への反省などが、幅広く社会の中に醸成されていることを示しているものではなかろうか。

日本は今もなお経済大国という評価を受けている。この国の繁栄は、国民の勤勉さや、人材の輩出等によってもたらされた点が大きい。しかしそれと同時に、かなり僥倖に恵まれたところもあったのではないか。

勤勉の美徳が見失われつつある今、その僥倖は誠にはかなく思われる。成長発展路線の中で恩恵を受けた人間としては言いにくいことであるが、その僥倖に甘えてばかりはいられないだろう。

最も大切なのは脚下照顧、足元を再確認し、己の場の上に立って力強く生きるということではなかろうか。収穫に酔いしれることなく、今後に備えてしっかりした土台を築き、次代に伝えていく使命感に生きることであろう。そこに十年、二十年単位で考え、行動する宗教者、特に仏教者の役割があると思う。

一人一人の人間に、人間としての奥深い心性の底力の目覚めを促すことこそが、仏教者のなしうる最も重要なことであると確信する。宗門の教化も、そのような目からなされることが重要ではないか。それこそが、先師先哲が営々として継承してきた貴重な遺志であり、遺訓であった。そのことを、もう一度確認する目が大切にされなければならない。