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現実の社会での車椅子受け入れ

2007年9月22日付 中外日報(社説)

北陸地方の介護付き有料老人ホームに住む女性のAさんから、便りが届いた。「先日、旧制女学校のクラス会で、京都府の天橋立へ行きました」と。

いま七十代半ばのAさんは戦後、教師となり、結婚せぬまま定年を迎えた。六十代後半から身動きが不自由になったため、ホームに入所、今は車椅子(いす)の身である。そのAさんを誘い出した友人たちはもちろん、Aさんと同い年だが「旅行中、交代で私の車椅子を押してくれました。バスでもホテルでも、職員の方々が何かと便宜を図ってくださいました」という。「よいお友達に恵まれて、よい旅ができましたね」と返事を書いた。

いまの社会では、Aさんのように車椅子で街へ出ても、温かく迎えられることが多い。しかし、バリアフリーの歴史は、意外に浅いのである。

例えば約二十年前に、ある大学を訪れたところ、車椅子の男子学生の車椅子をその母親が重そうに押しているのを見た。学内の通路に、粗削りの石が敷き詰められていた。

健常者から見ると、無粋なコンクリートより、自然石の方が見栄えがよいだろう。しかし石畳の上では車椅子はガタピシ揺れる。学生の体重が重いので、車椅子は二ヵ月もせぬうちに壊れてしまう。

しかし母親にとってさらにつらかったのは、入学の時に大学から次のように申し渡されたことだ。「本学は、ご子息が障害者であっても、一切配慮はしない。それを承知なさるなら、入学を許可します」。信じがたいことだが、この大学は宗教系の学校だった。しかしこの大学が特に障害者に冷たかったわけではない。別の大学に学んだ身障者の男子学生は、エレベーターのない四階建て校舎に、自分より体重の軽い母親に背負われて上り、四年間、勉強したそうだ。

それにつけても思い出されるのは平成六年、七十三歳で亡くなった京都の伊達よしえさんのことである。伊達さんは旧制専門学校在学中に多発性リウマチのため、身動きがかなわぬ身となった。しかし手先を動かして電話をかける機能は残された。

伊達さんはその機能をフルに使って、全国の同病の仲間に電話をかけ、車椅子に乗って積極的に外へ出ようと呼びかけた。

京都市営地下鉄の建設が始まった時、伊達さんは当時の京都市長に手紙を出した。「車椅子の者が乗れるように、各駅にエレベーターをつけていただけませんか」と。「要求」ではなく「お願い」だった。カトリック信徒の伊達さんを支援するため、仏教系大学のボランティア学生が署名活動をした。この結果、京都の地下鉄は、全駅バリアフリー化を実現した日本初の交通機関となった。このことはすでに当時の本欄でお伝えした。

伊達さんの遺志を継ぐかのように、車椅子の人々の社会参加が広がっている矢先、残念なニュースが伝えられた。JR西日本の一部の駅で「スムーズに対応させていただくため、車椅子の旅行者は出発の二日前に連絡してほしい。場合によっては乗車駅の変更をお願いすることがある」旨の提示がなされたというのだ。これでは車椅子の人は、緊急の用事での旅行ができないことになる。

JR側としては、職員の少ない駅や無人駅では、緊急の対応ができないという事情があったのかもしれない。だがそれならそれで発表の仕方があったのではないだろうか。

そこへさらに悲しいニュースだ。京都大阪間のJR東海道線踏切で、電動車椅子が立ち往生し、七十二歳の男性が電車にはねられて亡くなったという。レールのすき間に車輪を落としたのだろうか。車椅子の社会参加は、まだまだ厳しい面がある。車椅子がより大きな乗り物になることを望みたい。