ニュース画像
多くの人が見守る中、彰義隊墓所で盛大に営まれた150回忌法要
主な連載 過去の連載 エンディングへの備え
苦縁―東日本大震災 寄り添う宗教者たち
購読のお申し込み
新規購読キャンペーン
紙面保存版

多文化的状況の中の宗教教育という視点

2007年9月13日付 中外日報(社説)

宗教社会学の国際的な学会として、もっとも知られているのが、一九四八年に設立された国際宗教社会学会である。これは、頭文字をとってSISRもしくはCISRと略称されている。ヨーロッパの宗教社会学者が中心になって結成されたものであるが、現在ではアジアを含めて、ヨーロッパ以外の宗教社会学者も数多く集まるようになっている。二年に一回会議が開催されるが、その第二十九回の大会がさきごろドイツのライプチヒ大学で開催された。

今回は全体会議のほかに七十近いセッションが組まれたが、それらのテーマを見ると、現在どのようなことが世界の研究者たちの関心事になっているかが分かる。

ヨーロッパの研究者たちの間では、依然として世俗化の問題が大きな関心事であるということは、興味を引かれる点である。そのほか、スピリチュアリティの問題、イスラーム問題には、やはり多くの研究者が関心を抱いているようだが、これは最近の世界的な現象を見れば、うなずけるところだ。

また注目されるのは、宗教教育をめぐるセッションが、日本の事例のほか、バルカン半島での状況を中心に三つ開かれたことである。そのほか、セッションのテーマに直接「宗教教育」の語が掲げられていなくても、実質的にそれを問題にしたセッションもいくつか見られた。

バルカン半島の研究者にとって、人種、民族、宗教が複雑に入り組んだ地域での宗教教育の問題は、特に政治との関係で非常に大きな関心事となっているようである。戦乱の経験もあってか、多元的文化状況に対応した宗教教育が、国立の学校でいかに可能かといったことなどが、真剣に議論されていた。

ヨーロッパでは日本での宗派教育にあたるものは、コンフェッショナル(confessional)・エデュケーションと呼ばれることが多いようだ。日本では宗派教育をセクタリアン・エデュケーションと英訳することが多いが、コンフェッショナル・エデュケーションの方が分かりやすいといえば、分かりやすい。

宗教間の対立が深刻であったり、国家と宗教の関係が複雑であったり、あるいは若い世代の宗教離れが顕著であったりするなどした場合、その解決の糸口、あるいは今後への展望を得ようとして、宗教教育に関心が向くのは不思議ではない。

日本でも、宗教教育の議論は平成七年のオウム真理教事件以後盛んになったが、これらヨーロッパにおける議論と比べると、少し切実さが乏しいような印象を受ける。移民や外国人労働者そのほかにより、国内における宗教構成がどんどん複雑化している地域では、宗教教育は切実で重要な課題になっているのである。

日本は例えばムスリムが人口に占める割合は、まだ〇・一%になるかどうかという程度であるので、イスラーム問題もそれほど大きく取り上げられることはない。フランス、ドイツ、イギリスなどに比べれば何十分の一という程度である。しかし、長期的には増えていくことは確実と考えられる。そのほか、これまで日常的にはなじみのほとんどなかったヒンドゥー教、上座仏教、ジャイナ教、シク教などの信者が、日本に在住する例も少しずつ増えている。

宗教教育はこうした多文化的状況の中で大きな意味を持つということが、日本ではまださほどリアリティーを持たないように見受けられる。しかしほどなく、真剣にこうした視点からの議論が必要になることが感じられてくるであろう。

初等教育から高等教育に至るまで、いささかでも教育に携わっている人たちにとって、これはやがて大きな課題になってくると考えてほしい。