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恩師からの返事届かぬままに

2007年9月1日付 中外日報(社説)

中学校在学中、不登校ぎみだったA君は、卒業式の日もみんなと一緒の式典に出席することができなかった。すると校長は後日「君のために校長室で卒業式をやろう」と誘ってくれた。その日A君が母親同伴で母校へ行くと、校長室には式服姿の校長だけでなく、先生方全員が並んで待っていた。たった一人のA君のために、本番通りの式次第で卒業式が行なわれた。

帰途、A君は母親に告げた。「僕は○○校に行こうと思う。今、決めた」と。「先生方の気持を、息子がちゃんと受け止めてくれました」と、その母は涙ぐんだ。先日の毎日新聞家庭欄に寄せられた、読者からの投稿である。

すばらしい先生方がそろっている学校だ、そこに学ぶ生徒たちは幸せだ、と感じさせられた。だがその数日後、朝日新聞の読者投稿欄には、要旨次のような母親の訴えが載った。

「中学二年生の娘、Bは身体が不自由で、会話と寝返りのほかは全介助が必要です。心豊かに育ってほしいと、地域の養護学校に進学させました。一年生の学年末に、お世話になった先生方が転任されたので、娘はその先生方に、感謝の手紙を出しました。

養護担任の先生の手助けで一字々々に全身の力を振りしぼり、一通を書くのに四十分かかりました。いつ返事がくるかな、と楽しみに待っていましたが、一通の返事も届かぬまま、夏休みを迎えました……」

これもまた、教育界の現実であろう。第一に、転勤した教師は、新任校での仕事に手いっぱいで、前任校のことをかえりみる余裕がない。第二に、教師といえどもいまの社会人の多くには、私信を書くという習慣が身についていない。たいていのことは、電話かメールですませる。

だが、投書の主は次のように結んでいた。「今の先生方は、授業以外にもいろいろお忙しいことは分かっているつもりですが、教え子にはがき一枚書けない教育の現場に、複雑な思いを抱いています」

ある年齢よりも上の世代は、恩師に手紙を出すたびに、心のこもった返事をもらって、大きな喜びを感じた思い出があるはずだ。この投稿を見て思い当たる点のある教師は、二学期早々にでも、ぜひBさんに返事を出してほしい。

ケータイ時代というが、いま携帯電話は、通話よりもメールに使われる頻度が高いという。さきに産経新聞が連載した「大丈夫か日本語」という記事の中で、携帯メール事情に詳しい日本大学の田中ゆかり教授は「携帯メールのコミュニケーションで、新たな語彙を獲得するのは難しい」と述べている。メールのやりとりは親密な間柄のおしゃべりだから、丁寧な言い回しや敬語が、絵文字や記号に取って代わられる。

相手に悪く思われないためには「三十秒以内に返信するのが暗黙のルール」というメール・マナーも確立しているらしい。極端な場合は、一字か二字だけのメールが飛び交うこともあるようだ。

だが、こうした時代にもなお、手書きの郵便の効用が見直されつつある。朝日新聞連載の「ニッポン人脈記」には、阪神大震災の被災者を励ますボランティア団体「よろず相談室」を主宰する牧秀一さんが「志のある人は、神戸の復興住宅で独り暮らしをしている人に手紙を書いてあげてほしい」と呼びかけていることを紹介している。郵便受けに届いた手紙を宝物のように抱いて部屋に戻るお年寄りの姿を、牧さんは何度も見ているとか。

社会的弱者と呼ばれる人々は、パソコンを持たず、メールにも縁遠い暮らしをしている。手書きの手紙をもらうのが、何よりうれしい。新潟県中越沖地震や、能登半島地震の被災者に手紙をあげよう。寺院組織がその仲介役になることはできないか。何よりの菩薩行になるはずだ。