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| 時感断想 − 第63回 |
1、 常識からの脱皮 「自分」とは何かを問う
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『東京新聞』に今年の元旦から「常識革命」と題したシリーズの記事が載り始めました。 ここ数年「常識からの脱皮」あるいは「頭が真っ白になる本」と題する本を書いてみようと思っていた私には興味を引く題でしたが、連載を読むにつれて、私が意図している常識とは大きく違っていることに気づきました。それは新聞での常識革命の常識は、いわば社会の構造と絡んだ常識であるからです。 たとえば、一、二をあげれば、従来は「難しい病気を先端医療で治す」という常識を新たに「医療弱者の救済にこだわる」に、「ムダな公共事業で借金を重ねる」という常識を「あるものの活用で魅力を見いだす」ということに変革しようというのです。 ここで言われる常識とは、戦後の日本で続いてきた価値観に基づく常識です。すなわち「人間いかに生きるか」という問いかけに関する常識です。でも私が意図する常識はそのようなものとは本質的に違ったもので、「人間を含めたすべての存在は一体なにか」という問いへの答えに関する常識です。 「いかに」と追求する前に、まずは「なに」と追求することが重要です。いな、重要というよりは、そうしなければなりません。 なぜなら、たとえば「自分はいかに生きるか」と問う前に、その生きる主体である「自分」とはなにかをはっきりと解明していなければならないからです。 次回から、このことについて論じてみます。 |
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このページの最終更新日
2010年06月26日