中外ウェブ

自費出版

<<ホーム>>

spacer.gif
spacer.gif (43 バイト)
  時感断想 − 第59回

 1、   精神修養の場        「法然を語る」ことの難しさ


町田宗鳳

1、精神修養の場
「法然を語る」ことの難しさ

2、欲望を悪者にするな
魔界の奥座敷に本当の悟り

3、恐るべし「声の力」
腹から「アリガト」を朗々と

4、心の宿便を出す
断食で免疫高め心を浄化





<<戻る


   今年四月から一年間、NHK教育テレビ番組「こころの時代」で、法然上人について話をさせてもらっています。当初は、法然像を知恩院のお厨子から運び出して、現代日本を歩き回ってもらうという意気込みで臨んだものの、これがなかなか難しいのです。
   スタジオでは、かっきり六十分の収録なので、後で編集が利かず、生番組と同じ緊張感があります。先日、六回目の収録が終わって、ふと思ったのです。「法然を語る」と言いながら、実はそこで語られているのは、私自身の「値打ち」にほかならないと。
   この番組で問われているのは、法然の思想なんかではなく、それをどこまで深く理解し、正確に語り得るかという意味で、私自身の実力なのです。それはベートーベンの名曲を演奏して、その結果を問われるのが、タクトを振る指揮者であるのと似ています。
   二、三度の出演なら、ゴマカシも利くのですが、十二回ともなれば、弁明の余地がありません。テレビの画面を通じて、私のこれまでの人生体験と学者としての見識が、情け容赦もなく丸映しにされているのです。これは、とても恐ろしいことです。
   この番組には風景などの場面も使われることなく、ほとんどアナウンサーと私の二人が坐っている場面だけで終わってしまいますから、もし私の話に退屈すれば、視聴者は否応なく、チャンネルを切り替えることになります。
   しかも運の悪いことに、「こころの時代」は今回からハイビジョン撮影に切り替わったので、私の髪型が少しばかり歪んでいても、あるいは前の晩に深酒して疲れていても、ぜんぶ克明に映し出されます。
   半ば逃げ出したいような気分でいますが、かといって、逃げ出せるわけでもありません。私は私として、自分の宗教理解と人間理解双方における思慮の浅さを、そのまま曝け出していくより仕方ないのです。
   テレビスタジオもまた、私にとって、ひとつの精神修養の場であることを痛感させられています。

(H21.9.29〜H21.10.27)

  中外日報のホームページに記載されている記事・写真の無断転載を禁じます。
著作権は『中外日報社』に帰属します。Copyright2009,Chugainippoh
このページの最終更新日 2009年11月11日