|
<<ホーム>> |
|
| 時感断想 − 第48回 |
1、 今なぜ民俗宗教か 庶民の論理で適宜選択 |
||
|
|
近年、とくに神道界で神仏習合、神仏融和が叫ばれ、仏教界もこれに呼応している。また典型的な神仏習合の所産として修験道が注目されている。周知のように明治元年(一八六八)、明治政府は神仏分離令を出し、明治五年(一八七二)には修験道を廃止した。けれども仏寺では稲荷や祇園を鎮守したり、私的に神名に権現号を付すなど形を変えて、神仏習合を存続させた。 戦後、国家神道が廃止され、神道が宗教としてのみ存続が認められると、神道界は神仏習合を復活し、霊山の神社では峰入などの修験道の儀礼が行なわれた。そして世俗化が進んだ現在、宗教界では神仏習合や神仏融和に活路を求めている。これは氏子や檀信徒離れを防ぎ、彼らを社寺に呼び戻す真摯な営みであり、神仏習合の研究が求められてもいる。 たしかに社寺の存続をはかり、人々を唱導するいわば宗教の送り手の側に立つ宗教者にとっては、これは必須のことである。けれども私は、こうした宗教の送り手とは逆に、日々の生活の営みの中で生きがいや救済を求める、いわば受けとめ手の宗教を民俗宗教と名づけて、その調査研究を進めている。 古来日本人は神道、仏教のみならず、新宗教、修験道、陰陽道などを習合した形で、あるいは自分たちの論理で適宜に選択して受け入れている。 すなわち危機にあたっては、神仏のみならず、権現、星宿、教祖の体得した独自の神格に救済を求めている。また幼児の初詣は神社、結婚式は神道かキリスト教、相談ごとは新宗教、葬儀は寺院というように適宜に諸宗教を選択している。 もっとも現在は、冠婚葬祭を扱う宗教産業、社寺の祭・参詣、巡礼を呼びかける観光業者や行政の観光課、生活支援を行なうNPOが、かつては社寺が担当したこれらのことに積極的に関わっている。そして庶民は既存の社寺よりも、各自が判断してこれに応じている。 無宗教の葬儀・結婚式・墓地、かつての霊山登拝や社寺参詣を思わせる中高年の登山や観光などがこれである。宗教界も、私が民俗宗教と名づける、こうした志向をもつ庶民の希求に応じた活動をすることが何よりも考えられる。 |
||
|
|||
中外日報のホームページに記載されている記事・写真の無断転載を禁じます。
著作権は『中外日報社』に帰属します。Copyright2008,Chugainippoh
このページの最終更新日
2008年10月22日