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| 時感断想 − 第34回 |
1、 新渡戸稲造の希望 どんな「黒雲」もいつか晴れて |
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長い間、宗教家について調べたり、その思想を学んだりしていると、それらの宗教家の書いた色紙とか書などが、おのずと手元に集まるようになった。 みずから筆をとったものといっても、たいていほかから頼まれて書いたものが多いであろう。しかし、その内容となると、本人が日ごろ、生き方とし、信条としているものにちがいない。今回は、そのいくつかを紹介したい。 新渡戸稲造の著作を読んでいると、随所に一般の人々にもわかりやすい古歌、道歌に出合う。新渡戸が同じ歌を書いた色紙を、たまたま二枚所持している。同じ歌ではあるが、少し言葉に違いがあり、そのうちの一枚は次のとおりである。 黒雲の上なる空に出でぬれば 雨の降る夜も月をこそ見れ 別の一枚では、「黒雲」が「くろ雲」、「雨の降る夜」が「雨降る夜」、「月をこそ見れ」が「月を見るなる」となっている。新渡戸の著作によっては、最初が「雲よりも上なる」になっているものがある。これらの相違が、新渡戸の記憶違いによるものか、それとも意識的な改変であるかどうかわからない。ほかにも同じ色紙を持っている人の文章をみたことがあるから、新渡戸が好んで書いた歌であろう。 新渡戸は、一高校長、京大、東大教授などをつとめたほか、創設されたばかりの国際連盟の事務局次長として国際平和のために尽力した。それにもかかわらず、しだいに暗雲の覆い始めた国内からは厳しい非難にさらされることが少なくなかった。そのとき、いつか「黒雲」が晴れ、煌々とした月を仰ぎ見る時を幾度待ち望んだことか。新渡戸が、いかなる時にも希望を失わなかったことのよくわかる歌である。 |
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このページの最終更新日
2007年06月19日