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  時感断想 − 第31回

 1、    「共生学」の確立        相違・個性認める社会へ


竹村牧男

1、「共生学」の確立
相違・個性認める社会へ

2、共生論の展開
現代に生かすべき論点

3、自他の関係性
内なる「反共生」を超えて

4、環境との共生
霊性の自覚、他者への共感




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   最近、「共生」という言葉が、さまざまな場において、よく用いられている。おそらく、「環境との共生」という用例が多いと思われるが、「異文化間の共生」といった用例も少なくないであろう。学術の世界でも、たとえば京都大学大学院の「人間・環境学研究科」には、「共生人間学専攻・共生文明学専攻・相関環境学専攻」の三つの専攻が置かれ、順に、人間相互の共生・文明相互の共生・人間と自然の共生について研究・教育するのだという。東京大学にはCOEとして、「共生のための国際哲学交流センター」が設置されている。昨年十月には、共生社会システム学会も発足した。だとすれば、「共生」の語は、今や確実に市民権を得た言葉であると言わざるをえないであろう。
   特に最近は、競争原理、格差社会において、勝組と負組の間の関係をどのように再構築していくかという観点においても、「共生」の語に関心が集まっているのではないかと思われる。グローバル・スタンダードとして導入された苛烈な競争主義を、根本から問い直す際に、「共生」の語が浮上したりしている。
   ただし、「共生」の美名の下に、差別や対立が隠蔽されるのでは、真の「共生」にはなりえない。したがって「共生」においては、しばしば対立や相違を解消するのではなく、むしろ相互の相違や個性を認めあいながらもそれぞれが活き活きと生きることで、真に可能な世界が追求されていく。そうして、どの人もが自由に自己実現が可能であるような社会が、めざされなければなるまい。そこでは、どの人もが自立しつつ、しかも他者と連帯していくことが実現するであろう。
   ともあれ、もはや学術の世界でも公式にこの言葉が用いられている以上は、我々はその「共生」ということを厳正に考察する「共生学」を、確立していくべきではなかろうか。

(H19.03.06〜H19.02.27)

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このページの最終更新日 2007年03月26日