|
<<ホーム>> |
|
| 時感断想 − 第20回 |
1、 宗教的情熱の継承 燃えたぎる聖人への思い |
||
|
|
梅の花の咲く時節になると、立正大学に願書を受け取りに行った光景を思い起こす。 昭和二十年五月の焼夷弾爆撃で、周辺の地域は焼け野原状態。大学はコンクリート造りの建物のほかは、粗末な 木造校舎ばかりであった。しかし、残された建物には車寄せ(ポーチ)があり、その前庭には梅の花が咲いて いたことが印象深い。それなりに進学校の仲間の刺激の渦中にあった身としては、父の薦めで進学を決めたとは いえ、心淋しい思いの私だったが、窓口の先輩の温かい態度が安心を与えてくれた。 後に流通経済大学学園長の佐伯弘治先生から「立正大学はたいしたものだ! 歴史がある からなあ!」と声をかけて頂いた。先生は富山中学で草野寛正先生から薫陶を受けたとのこと。恩師の草野先生 が、御子息が東北大学に合格したところ、それを取り消させて、立正大学史学科に入学させたことを聞いたときの 驚きを語って頂いたのである。実はそうした例を数多く聞く。日蓮聖人崇敬の宗教的情熱が、父子を堅く結びつ けて来たのである。 これとは逆に厳しい名僧を父とした石橋湛山先生の場合には、遠くを夢見る望月日謙 (後の身延山法主・日蓮宗管長)のもとに預けられ、中学校を二度も落第したおかげで、「少年よ大志を抱け」の クラーク先生に薫陶を受けた大島正健校長に目を醒まされて早稲田大学に進学。当時の哲学界では異端ともいう べき米国プラグマティズム哲学を学び、ジャーナリズムの世界に身を投じた。さらに戦後最初の大蔵大臣となり、 短命ではあったが第五十五代内閣総理大臣を務めた。そのなかで先生は終生、宗教心を大切に生き、十六年間に わたり立正大学学長として大学の成長を図った。 私が学生の頃は、すべての大学が最大の危機の時代で、毎日新聞連載の「学者の森」の 最初の回は、優秀な若い数学研究者が池袋の下宿で自殺を遂げたことから書き出された。立正大学も極貧の極地に あった。しかし茂田井教亨先生をはじめ、日蓮聖人の熱い思いを思慕する雰囲気が燃えたぎっていた。私の 出発点がそこにあったことを、ほんとうに有り難いことだとしみじみ感謝する。同時に、施設や環境に恵まれて いる今、その情熱を継承せねばならない思いに駆られるのである。 |
||
|
|||
中外日報のホームページに記載されている記事・写真の無断転載を禁じます。
著作権は『中外日報社』に帰属します。Copyright2006,Chugainippoh
このページの最終更新日