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| 時感断想 − 第9回 |
1、 よみがえること 御降誕800年へ私の願い |
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日蓮聖人は、鎌倉前期の承久四年、改元されて貞応元年(一二二二)二月十六日、安房の国(千葉県)小湊という片海で生まれられた。 爾来、歳移りて今年は七百八十四年になる。十六年後の平成三十三年には、ちょうど御降誕八百年の聖日をお迎えする。 いずれ宗門からは、その方策や行事が示されることになると思うが、せめて当該の寺院として、また、その霊跡の責務としても、これをお迎えする心構えぐらいは示さないとと、先ごろ「日蓮聖人御降誕八百年に向かっての祈り」と題し、ささやかなわたくしの願いを発表した。 そのはじめに祈りと言うより一宗教者の立場から、いまのわたくしの切実な願いというものを訴えてみた。 この世の中を蘇生 (よみがえ)らせよう。 日本の国を、もう一度 蘇生(よみがえ)らせ よう。そのためには、 まず、私たち一人ひと りが蘇生(よみがえ) ろう。 ここで蘇生を「よみがえる」と読んだのは、日蓮聖人が『法華題目抄』に、「妙とは蘇生の義なり。蘇生と申すは、よみがへる義なり」と述べておられることからとったのである。つまり蘇生とは、生き返ることである。 この蘇生については、日蓮聖人にとって忘れがたいものがある。 文永元年(一二六四)秋、久しぶりに小湊の生家に母を尋ねられたとき、母は既に病の床につかれ、わが子の帰るのを待つが如く息を引きとられたのである。 聖人は、その枕辺で直ちに熱祷するや不思議に母は再び息を吹き返され、さらに壽命を四ヵ年延ばされたという。 現代科学にどっぷり漬かっている人たちからすれば信じ難いことかもしれないが、この事実は、後年、聖人が『可延定業御書』に「日蓮悲母を祈りて候いしかば、現身に病を癒やすのみならず、四箇年の壽命を延べたり」と述懐をされているのを見ても明らかなことである。 |
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